蛭子能収さんといえば、独特なタッチの漫画「地獄に堕ちた教師ども」や「私はバカになりたい」を書いた有名漫画家です。
そして、蛭子能収さんは漫画家としてだけでなく、そのキャラクターを活かし、数多くのバラエティ番組に出演している人気マルチタレントとしても活躍していますね。
そんな蛭子能収さんですが、2020年7月に自身が認知症であることを公表し、話題になりました。
認知症の蛭子能収さんを支え続けているご家族はいったいどんな方なのでしょうか。
なので今回は、蛭子能収さんの現在のお嫁さんについて徹底調査。現在のお嫁さんはハリセンボンの近藤春菜似のぽっちゃり美人なことや、年齢、馴れ初めについて紹介していきます。
また、元嫁・貴美子さんが亡くなりどうやって蛭子能収さんが立ち直ったのかや、蛭子能収さんが認知症になってからマルちゃんがどんな介護をしてきたのかについても紹介していきますので、是非ご覧下さい!
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蛭子能収の現在の嫁はハリセンボン・近藤春菜似のぽっちゃり美人
蛭子能収さんの現嫁の実名は公表されていませんが、蛭子能収さんは「マルちゃん」と呼んでいるそうです。
マルちゃんの顔画像を探してみましたが、こちらも公表されていないようで見つけることができませんでした。
しかし、ウワサによるとハリセンボンの近藤春菜に似た顔でぽっちゃり美人らしいことが判明!
引用元:youtube
春菜さんに似ているのなら、きっと優しそうな顔をしているのでしょうね!
マルちゃんの年齢は、蛭子さんの19歳下。
蛭子さんの年齢から計算して、現在57歳ということになります。
蛭子能収さんに19歳も年下のお嫁さんがいたなんて、驚きですよね。
メリー
近藤春菜さんに似てるんだ〜
馴れ初めは、週刊誌「女性自身」での募集
ここからは、蛭子能収さんと現在の嫁・マルちゃんの馴れ初めについて詳しく紹介していきます。
蛭子能収さんは、2001年に、元嫁を病気で亡くしてしまいます。
元嫁の存在は蛭子能収さんの中であまりにも大きな存在だったそうで、相当落ち込んだようです。
そして、蛭子能収さんは、元嫁を亡くした悲しさに耐えられすに、週刊誌「女性自身」でお見合い相手を募集しました。
この募集に応募してきた10名の中に、現嫁のマルちゃんが!
なんと二人の初デートは、東京の多摩川競艇場だったそうです!!
初デートにまで競艇場を選ぶなんて、蛭子能収さんらしいですよね。
その後も競艇場デートや趣味の旅行を重ねて、3年半交際が続きました。
そして、二人は2007年1月に再婚します。
蛭子能収さんは結婚する前に、元妻との結婚生活が素晴らしかったからこそ、「もう一度結婚したい」と思ったそうです。
マルちゃんとの結婚で蛭子さんはとてつもない孤独から開放されました。
この恩からか、蛭子能収さんはマルちゃんを本当に大切にしているそう。
大切に思える人を見つけることができて、本当によかったですね!
再婚できて本当に良かった
クロ
元嫁・貴美子についてや、亡くなった原因
ここでは、元嫁・貴美子さんについて紹介していきます。
蛭子能収さんと貴美子さんの出会いは地元長崎でした。
蛭子能収さんがよく通っていた画材屋さんで貴美子さんが働いていました。
ころのころ蛭子能収さんは、芸術系映画に興味があった時期で、たまたま彼女の興味があったため、画材屋へ行くたびに映画の話をしていたようです。
これがきっかけで貴美子さんは蛭子能収さんに好意を寄せ始めます。
貴美子さんは映画に誘ったりアプローチをしますが、蛭子能収さんはあまり興味がなかったのか、一緒に映画へ行くことなく上京してしまいます。
貴美子さんは、蛭子能収さんの友人に「手紙でもだしてやったらどうだ」と蛭子能収さんの住所を教えられ、文通をはじめるようになりました。
文通を始めて1年ほど経ち、貴美子さんも東京国分寺に住んでいたお姉さん夫婦のところに引っ越してきて仕事をはじめます。
それから、貴美子さんは何度か蛭子能収さんをデートに誘いますが、何度か断られたそう。
蛭子能収さんは、なんとデートより競艇やパチンコへ行きたかったからと後に語っています。
何度も断られながらも、デートへ誘い続けた貴美子さん。蛭子さんもデートへ行くようになり、恋に目覚め始めます。
その後、1972年10月10日、三鷹台の木造アパートで同棲するようになり、それとほぼ同時期に籍を入れ夫婦になります。
2人はお互いを「おぬし」と呼び合っていたそうで、結婚生活は貧乏ではありましたが、貴美子さんが漫画家を目指す蛭子能収さんを支え続けました。
入籍した年に長女が、後に長男も生まれて幸せな生活をしますが、1999年5月、貴美子さんが台所で吐血して突然倒れます。
病院で診察した結果、食道除脈流、子宮筋腫、脾臓の腫れなどの病気担っていたことが判明。
ちなみに、貴美子さんが倒れたときも、蛭子能収さんは東京・平和島の競艇場にいたそうです。
家族から連絡があり、蛭子能収さんが病院に駆けつけると、妻はすでに昏睡状態だったとのこと。
そして、倒れて2日目、貴美子さんは意識を取り戻すことなく肺高血圧症で亡くなりました。
結婚してから30年、蛭子能収さんは貴美子さんのことをとても大切にしていたそうです。
大切な貴美子さんを亡くされて、想像を絶する喪失感だったのでしょうね。
大切な人を失うのはキツいよな
やる気0男
現在の嫁と元嫁との間に生まれた子供について
さて、多くのバライティ番組に出演している蛭子能収さんですが、親子で出演されていることもありましたね。
次は、蛭子さんのお子さんが何人いるのか、お子さんの顔写真・年齢・職業について紹介していきたいと思います。
こちらが、貴美子さんと貴美子さんとの間に生まれた長女・長男の写真です。
引用元: 詩と寓話とシュールレアリスム (hatenadiary.jp)
親子4人があまりにも似ていて驚きました!!
長男・長女は子供時代は蛭子能収さんにそっくりですね。
蛭子能収さんには、長男長女の他に、現嫁のマルちゃんの連れ子の次女が一人いるようです。
これから、一人ひとりのお子さんについて紹介していきますね。
長女・蛭子史英(元嫁との子供)
まずは、長女の蛭子史英さんです。幼少期の写真では蛭子能収さんにそっくりでしたね。
大人になってからはどうでしょうか。早速見てみましょう。
大人になっても、なんと蛭子能収さんにそっくりです!!
史英さんについて、調べてみましたが、現在結婚されて幸せに暮らしているという情報しか見つけることができませんでした。
1972年に生まれているので、現在は52歳ということになります。
幸せに暮らされているのなら、父の蛭子能収さんも心配することはないですね!
長男・蛭子一郎(元嫁との子供)
次は、長男の蛭子一郎さんです。
蛭子一郎さんは、1974年生まれの50歳で、元KID所属の元ゲームプログラマーです。
現在はノイジークローク所属のサウンドデザイナーをしています。
蛭子一郎さんは、中学生の頃自宅にあったパソコンで音楽制作をはじめ、ゲームプログラミングを独学で覚えました。
バンド活動(作曲&ベースを担当)をしていましたが、中心に活動してきたが、その後、企業のBGMや効果音などを制作するようになります。
これまで仕事で関わった作品は、
- 初音ミク GALAXY LIVE 2020
- ポケモン不思議のダンジョン 救助隊DX
- ドラゴンボールZ KAKAROT
- モンスターストライク
- ドラゴンクエスト どこでもモンスターパレード などなど多数。
長男の蛭子一郎さんも幼少期の写真で蛭子能収さんにそっくりでしたが、現在も激似ですね。
サウンドデザイナーとして活躍されて、結婚して幸せなご家庭を気づいているそうですから、素晴らしいですね。
次女・蛭子希和(現嫁の連れ子)
続いては次女の蛭子希和さんについて紹介していきます。
蛭子希和さんは、蛭子能収さんの娘としてバラエティ番組に出演経験があります。
女優・タレントとしてタレント活動を行っているようです。
詳細なプロフィールは調べてもわかりませんでしたが、バラエティ番組出演時は「美人」「かわいい」と話題になっていました。
その蛭子希和さんの写真はこちらです。
確かに可愛らしい顔をしていますね!
蛭子能収さんとは、血の繋がりはなく、現嫁のマルちゃんの連れ子だそうです。
タレントとしてのこれからの活躍が楽しみですね!
メリー
希和さんめっちゃ可愛い!
蛭子能収は現在の嫁と再婚したことで、とてつもない孤独から立ち直る
蛭子能収さんは、元嫁の貴美子さんを病気で亡くされた時、まるで自分の一部がもぎ取られるようなとてつもない喪失感だったそうです。
貴美子さんが亡くなって初めて、妻が大切な存在でどれだけ精神的に依存していたかを知ったと後に蛭子能収さんは語っています。
蛭子能収さんは、本当に貴美子さんのことが大好きだったのですね。
そして、貴美子さんを亡くし孤独感を感じたことから、現在の嫁・マルちゃんと知り合うことになるお見合いパーティーに参加することに。
そこで、マルちゃんと出会いとてつもない孤独から立ち直ることができました。
失うからこそどれだけ大切なのかに気づくよね
クロ
蛭子能収の認知症の介護に嫁は疲れ果てていた
バラエティ番組で大活躍されていた蛭子能収さんですが、2020年7月に『主治医が見つかる診療所』(テレビ東京系)で、アルツハイマー病とレビー小体病を併発している初期の認知症であることを公表しています。
2014年に蛭子能収さんがMCIと診断されてからは、貴美子さんは食事管理や一緒に運動をするなど、蛭子能収さんの健康に気配っていました。
しかし、2017年頃から蛭子能収さんは認知症の様々な症状がでるようになったそうです。
蛭子さんの症状は、レム睡眠行動障害という、夜寝ているときに悪夢をみて、奇声を上げたり暴れたりする症状でした。
また、テビー正体型認知症の初期症状に見られる、異常発汗の症状もあったそうです。
症状が悪化すると、入浴中にシャワーの出し方がわからなくなったり、自分のシャンプーがどれかわからなくなったり、びしょぬれのまま下着を着てしまうようになりました。
夜には、トイレに起きてもトイレの場所がわからなくなったり、トイレへ行く目的を忘れてしまったりするため、マルちゃんは一晩に5~6回、多いときは10回以上トイレに付き添い、睡眠不足から心身ともに疲れ果ててしまった時期があったそう。
この疲れから、マルちゃんは4回も救急車で運ばれ、精神的なものかくる急性胃腸炎と診断されました。
その後も症状が改善せず、最近は日中でも洗濯かごの服をマルちゃんと勘違いして倒れていると思って叫んでしまったり、デパートの中に電車がいると言い出すようになったそう。
24時間の介護に疲れ果てて、死んでしまおうかといつも頭をよぎっていたのだとか。
大切なご主人の介護だとしても、24時間気が休まる時間がないことは辛いですよね。
認知症の介護は相当キツいみたいだな
やる気0男
認知症の介護負担を軽くする5つの心得
それでは、蛭子能収さんの現嫁のマルちゃんのように、認知症の介護をするご家族の負担を軽くする方法について紹介します。
まずは認知症患者を介護する家族がたどる4つの心理ステップ
まずは認知症患者を介護する家族がたどる4つの心理ステップからマルちゃんがどのような感じだったのかを紹介していきます。
第1段階 戸惑い・否定
家族が認知症を発症し、その変化に戸惑いを覚える時期。
診断が出た後も、「まさかそんなはずがない」「他の病気の影響だ」と認知症を否定することや、症状が表れていること自体を否定しようとすることも。
次第に、否定できないほど認知症が進むと、次の段階に移行します。
蛭子能収さんとマルちゃんの場合、2017年に認知症の症状が出始めてから、認知症の診断を受けた時期がこれに当たりますね。
第2段階 混乱・怒り・拒絶
次々と表れる症状と変化する状況に混乱する中で介護に取り組み、多くの事柄を処理し続ける時期。
一方、否応なく進行する認知症や症状を示す患者さんにも怒りを覚えてしまいます。
「なぜ私がこんな思いをしなければならないのか」と絶望し、ご本人、時には手を差し伸べてくれる人々をも拒絶することも。
蛭子能収さんとマルちゃんの場合は、この時期はマルちゃんが24時間の介護に疲れ果て、死んでしまいたいとおもった頃がこの時期にあたります。
第3段階 割り切り・諦め
認知症を格別の悲劇であるととらえることもなく、割り切ることができるようになる時期。
認知症は進行するもので予防も治療もできないと諦めを感じている一方、どのようにうまく付き合っていけばいいのか、認知症と、認知症患者さんと共に生きていくことを受けとめはじめる。
マルちゃんの場合、この時期はテレビ番組内で蛭子能収さんが認知症であることを公表した時期にあたります。
公表をすることで、周りへのSOSをようやく出すことができました。
第4段階 受容
認知症患者さん、介護をした自分自身、そして認知症そのものに対しても受容し、その価値を認めていく時期。
いつか自分もなるかもしれない認知症、あるがままの認知症患者さん、共に生きてきた自分自身の全てをかけがえのないものとして受容し、さらなる未来を考えていく段階 。
蛭子能収さんとマルちゃんにとって、まさに今がこの時期にあたるのでしょう。
では心の負担を軽くする「5つの心得」を紹介!
ここまで説明してきた4つの心理ステップは、上がるにつれご家族の心が軽くなっていきます。
この4つの心理ステップを理解した上で、心の負担を少しでも減らすために大事な「5つの心得」を紹介していきます。
①がんばらない
認知症介護をしている家族は最善の方法を学びながら、熱心に介護している人が多いです。
介護している家族自身の疲れや苦しみが蔑ろになっていることが多く、必要以上に頑張ってしまいがちです。
あるがままを受け入れ、がんばり過ぎなくていいんだと、まずはご本人よりも「ご自身」に優しくすることがです大切です。
マルちゃんの場合は、24時間目を離せない蛭子能収さんを自分一人で介護し続けようとがんばっていましたね。
②抱えこまない
医療が進歩した今は介護が長期にわたることも多く、介護は一人きり、一つの家族で抱えこめなくなっています。
外部サービスなどに介護の一部を任せることは、むしろ望ましい姿です。
マルちゃんは、自分ひとりで介護が限界になった時に、死んでしまおうかという気持ちが心をよぎったといいます。
一人で抱え込みすぎると、精神的にもどんどん悪いことを考えてしまいますね。
③弱音を吐く
きれいごとだけではすまないのが介護です。不満ややりきれない気持ちは、あってあたりまえです。
介護家族会に参加したり、信頼できる友人に話を聞いてもらうなど、弱音や愚痴を少しずつでもこぼすことが大切です。
マルちゃんの場合は、蛭子能収さんが有名人ということで、なかなか周りの人に相談したり弱音を吐くことができなかったのかもしれません。
④くらべない
他のケースを参考にするのは悪いことではありませんが、患者さんの症状や認知症の進行度が、介護者の介護の良し悪しを反映・評価するものでもありません。
介護者する家族が、自分らしくいられるのが最も大切です。
マルちゃんも他の認知症の人と蛭子能収さんの症状を比べて悩んでしまったこともあるのでしょう。
⑤おわりを考える
認知症は進行していくもの。どのような症状にも「おわり」があります。
目の前の苦しみがいつおわるのかわからない辛さは確かにあります。
しかし、おわりを迎えるときにご本人もご家族も笑っていられるように過ごしましょう。
きっと、マルちゃんが蛭子能収さんの介護をしていて死んでしまおうかと思ったときは、このまま先が見えない介護に疲れ果ててしまったのでしょう。おわりを考える余裕などなかったのですね。
これらが、認知症患者に対しての5つの心得です。
マルちゃんも蛭子能収さんの介護に心身ともに疲れて果ててしまっていますが、あまり頑張りすぎず、抱え込まずに、いろいろな人に助けてもらえればと思います。
メリー
無理せず、周りに助けてもらうことが大切なんだね
まとめ
では今回の記事をまとめていきます。
- 蛭子能収さんの現嫁はマルちゃんで、ハリセンボン近藤春菜似。
- マルちゃんとの出会いは、蛭子能収さんが元嫁を亡くした寂しさから参加した雑誌「週刊女性」のお見合いパーティーだった。
- 元嫁とは、地元長崎の行きつけの画材屋さんで貴美子さんが働いていたのが出会い。
- 1999年、貴美子さんは肺高血圧症のため、他界。
- 蛭子能収さんの子供は貴美子さんとの間に長女と長男、マルちゃんの連れ子の次女の3人いた。
- マルちゃんは、蛭子能収さんの認知症介護の睡眠不足から、介護に疲れ果て自殺を考えた時期があった。
蛭子能収さんは認知症の診断をうけてから、現妻のマルちゃんの必死の介護を受けて生活していくことができました。
しかし、認知症の介護を家族がすることは、精神的にも肉体的にもかなりのストレスがあります。
認知症の介護をする家族は、「がんばらない」「抱え込まない」「弱音を吐く」「くらべない」「終わりを考える」の認知症介護の5つの心得を意識しながら周囲の人々に頼ることを意識する事が大切なのです。