吉永小百合さんといえば、日本を代表する大女優ですよね。
若い頃から変わらない美貌の吉永小百合さんですが、15歳年上の夫・岡田太郎さんはフジテレビの元ディレクターなんだとか!
今回は吉永小百合さんの夫・岡田太郎さんについて二人の馴れ初めや夫婦仲、死亡説の噂などについて詳しく調べてみました!
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吉永小百合の夫・岡田太郎は2024年現在も健在
画像引用元:Ameblo
吉永小百合さんの夫・岡田太郎さんは現在94歳と、かなり高齢です。
岡田さんは一般人なのでもちろん公に姿を見せることもなく、ネットでは死亡説の噂も出ていますが実際どうなのでしょうか。
現在の岡田さんですが、2023年9月に『徹子の部屋』に出演した際に夫のことを聞かれた吉永小百合さんは「大変元気で週1回はゴルフに行っております」と明かしています。
93歳というお歳で週1ゴルフに行けるのは、たしかにめちゃくちゃお元気そうです☆
健康のために体を動かすことを心がけているでしょう。
危篤状態になるも献身的な看病で無事回復
岡田太朗さん、さきほど死亡説の噂があったとお伝えしましたが、実は約10年前に危篤状態になったことが関係しているみたいです。
2014年夏頃、岡田太朗さんが84歳の時に肝臓の大病を患い、一時は危篤状態になりました。
吉永小百合さんはつきっきりの看病をしていてとても大変だったみたいです。
献身的な看病もあり順調に回復したんだとか。
自宅をバリアフリーにするなど高齢者用の住宅に改造し、現在奇跡的に回復した岡田太郎さんは、吉永小百合さんと穏やかに暮らしているといわれています。
岡田太郎とはどんな人物なのか
ここからは、岡田太朗さんはどんな方なのか見ていきましょう
まずはお顔から。こちらが岡田太朗さんの顔写真です。
岡田太郎は落ち着いて優しい雰囲気
落ち着いていて優しそうな雰囲気ですね。
岡田太朗さんは、1930年7月20日生まれの94歳。
吉永小百合さんは東京都渋谷区出身で、1945年3月13日生まれの79歳なので岡田太朗さんとの歳の差は15歳!
けっこうな歳の差夫婦ですが、空気感がどことなく似ていてお似合いです!
現役時代はテレビ界のエリート
画像引用元:X
岡田太郎さんは元々勤めていた「文化放送」から「フジテレビ」へ転職をされています。
敏腕ディレクターとして活躍し、女優さんを美しく撮影する独自の手法が評価され、『アップの太郎』と呼ばれていたそうです。
役者のアップを撮り、上手く取り入れ演出することによって、先駆けとなるようなドラマ作りをしたのです。
夫や子供を送り出した主婦を対象に、艶っぽい作品をドラマ化し平日の昼間に放送すると、大好評を得ました。
岡田さんは「メロドラマ」や「昼メロ」などという言葉の生みの親だとか!すごいですよね!?
女優さんからの信頼も厚い方だったみたいです。
その後、フジ・メディア・ホールディングスの子会社である共同テレビの社長・会長・相談役と歴任しました。
現在は引退されていますが、岡田太郎さんはテレビ界ではかなりのエリートだったことがわかりますよね!
岡田太朗の年収
岡田太朗さんの年収も気になりましたので考察しました。
あくまで岡田さんの活躍されていた時代ではなく、現在の一般的なテレビディレクターの平均年収になります。
一般的なテレビディレクターの年収は、キー局・地方局・番組制作会社など所属している会社によって大きく変動します。
キー局の平均年収は、30代で約1000万、40代で約1500万にもなるそうです!
また、手がけた番組の人気度によっても左右されるということで、吉永さんと出会った当時の岡田さんの年収は、平均的なテレビディレクターよりも多かったのかもしれません。
ディレクターとして勤めた後も、相談役までご活躍された岡田さん。
年収は相当高かったことが予想できますね!
出会いは「愛と死を見つめて」
美人すぎる吉永小百合さんですが「サユリスト」と言われる熱狂的ファンも多いことで有名です。
そんな吉永さんが岡田太朗さんといつ頃知り合ったのか、ふたりの馴れ初めを調べてみました。
画像引用元:BS12トゥエルビ
吉永小百合さんと夫・岡田太郎さんとの出会いは、「愛と死をみつめて」のドキュメンタリーの制作でした。
1964年、吉永小百合さんが19歳の時でした。この番組を任されたのが岡田太郎さんだったのです。
吉永小百合さんの印象は、「ぜんぜん偉ぶらない。こんなに素直な子がいるのか?!」と、驚いたんだとか。
岡田さんにとって吉永さんの第一印象はかなり良かったようですね!
崖っぷちの吉永小百合を救ったのが岡田太朗
実は俳優の渡哲也さんと交際していた吉永小百合さん。
しかし1969年、両親の猛烈な反対により、渡哲也さんとの交際は破局に終わりました。
2年後の1971年に渡さんが結婚したことを伝え聞くと、ヨーロッパに一人傷心旅行に旅立ったそうです。
帰国後もやる気は起きず、渡さんとの破局がきっかけに両親とは反目するようになりました。
また〇人的な超多忙スケジュールなどによる精神的ストレスもあり、声が出なくなってしまった吉永小百合さん。
そんな時に親身になって支えてくれたのが、後に夫となる岡田太郎さんでした。
「たとえ声が出なくても、一生懸命やれば見ている人はちゃんとわかってくれるよ」と言って吉永さんを慰めたり、様々な治療法を探してきては、効果がありそうなものを勧めます。
そして、その勧めに従って取り入れた治療法により、吉永小百合さんの声帯は見事回復したそうです!
吉永さんが精神的に辛い時に支えてくれたのが岡田さんだったことも、結婚の決め手になったのかもしれません。
あの吉永小百合さんが岡田太朗さんに惚れた理由も納得ですよね!
吉永小百合から逆プロポーズ
無事に声を取り戻した吉永小百合さんは、以来、岡田太郎さんに全幅の信頼を寄せるようになります。
吉永小百合さんは、お父さんには仕事の打ち合わせを装い、フジテレビがあった河田町付近の寿司店や、新宿の和食店、銀座東急ホテルで岡田太朗さんとデートを重ねていたそうです。
やがて、岡田太朗さんとの結婚を決意した吉永小百合さん。
その背景には、両親からの溺愛や束縛から離れるために、『結婚して名前を変えて家を出たい』という考えがあったようです。
岡田太郎さんには離婚歴があり「結婚は大変だよ」「女優は独身の方が有利だから、このままでいい」と再婚を渋っていたそうですが、
吉永小百合さんの方から逆プロポーズをして押し切り、結婚に至ります。
吉永さんの方が結婚に積極的だったとは、意外な真実でした!
結婚式はささやかに
1973年、吉永小百合さんは人気絶頂だった27歳の時に岡田太郎さんと結婚に至りました。
吉永小百合さんの両親は、岡田さんが吉永さんよりも15歳年上だったことや岡田さんに離婚歴があったことに激怒したそう。。
吉永さんは両親の反対を押し切って結婚に踏み切ったんですね。
結婚式は、東京都内の千秋与四夫(せんしゅう よしお)さんの家でシンプルなものだったみたいです。
立会人兼仲人を千秋与四夫さん・畠山みどりさん夫妻が務め、介添人に先輩女優の奈良岡朋子さんに来てもらったそう。
披露宴と会見は公の場で行うので、式は気心の知れた5人だけだったようですね。
披露宴は1973年8月3日、京王プラザホテルで挙げています。
この時も吉永さんの両親は欠席しており、メディアでも確執が大きく取り上げられたのだとか。
結婚によって険悪な関係になってしまいましたが、その後は仲のいい親子に戻ったようです。
後年吉永さんは父親を「優しい人」母親を「自分のことをいつも心配していた」と語っています。
時間が経って吉永さん親子の溝は少しずつ埋まっていったようですね、なんだか安心しました!
結婚50年!岡田太朗と吉永小百合の夫婦仲は良好
画像引用元:NEWSポストセブン
昨年(2023年)は結婚50年を迎えた岡田さんと吉永さん。
岡田太朗さんは吉永さゆりさんのために手料理を作ってくれるそう。
朝食は毎日岡田さんが作るそうで、
「毎日作ってもらって。大体洋風なんですけど、スクランブルエッグと、そのほかはあるものを出す感じ。あと、コーヒーは入れてくれる」
「朝の時間がね、ちょっとそうやって忙しい時も作ってもらうととてもありがたいです」と目を細めた吉永さん。
さらに岡田さんは映画の撮影中は朝食以外も作って吉永さんをサポートしているそう。
「仕事終わってますからね。なにかやっぱりそうやって、手を動かしたり、歩いたりすることをとても大事だと思うんですよね」としみじみ。
岡田さんは料理だけでなく、片付けも上手なんだとか!
「まあ一緒にするんですけれども、でも上手に洗ったり、しまったりできる人ですね。自分自身の洋服とかもきちんと自分でしまったりしてますね」と打ち明けた吉永さん。
岡田さんは高齢になった現在も身の回りのことや料理ができるんですね!
家事を積極的にしてくれるのは、現役で働く吉永さんもかなり助かっていることでしょう。
「夫婦円満の秘訣は、何でもよく話し合うことかしら。
結婚した当時はそうでないこともありましたけど、長年一緒にいれば何でも話せるようになりますよね」
もともとお互いの人生を尊重したうえでの結婚だったことから、 結婚生活はとても順調だったという夫妻。
吉永さんは、お姑さん(岡田さんのお母さん)のことをとても大事にしていたようで、お姑さんの晩年は介護も夫以上に励んでいたんだそう!
なんでも良く話し合い、お互いを思いやることが、夫婦円満の秘訣なんですね。
まさに理想の夫婦ですよね!
2人の間に子供がいない理由
画像引用元:現代ビジネス
吉永小百合さんと岡田太朗さんの間には子供はいません。
結婚当時の吉永小百合さんは28歳で、日本を代表する超人気若手女優でしたから、出産や育児と女優業の両立が困難だったのでしょう。
また、ステージママであった自分の母親のように子供を束縛するのではないか、という不安があったようです。
親が常に私の後にぴったりとくっついていて、私にいろいろ期待して、娘を守ってきたというか、溺愛されていたんですね、父にも母にも。それが苦しくて。(中略)だから結婚することで家を出て、名前を変えることで親から離れようと思いました。
41年前、新潟へ向かう夜汽車で吉永さんは「結婚相手は誰でもよかった」と話しています。
雨の車窓をながめながら「両親からの逃避行に必死だったの」と両親と決別するために結婚したことを明かしていました。
夫婦の約束で子供はもうけませんでしたが、吉永さんは映画「北の桜守」の取材でこう語っています。
「映画と一緒に自然に年を重ねていけたらいい。映画たちは私の子供です」
年月を経て、女優業に専念したことが自分の誇りだと伝えているようにも感じます。
嵐の二宮和也を息子のように可愛がっている
『母と暮せば』(山田洋次監督)で親子役を演じて以降、嵐の二宮和也さんをとても可愛がっている吉永小百合さん。
二宮さんのことを本当の息子のように思っているそうです。
2023年10月に二宮さんが事務所から独立する際にも、メールでやり取りをした間柄だそう。
吉永さんは二宮さんの娘さんと対面したこともあるそうで、「”某かずなりさん”のお嬢ちゃんに会うことができた」とうれしそうに目を細めたとか。
二宮さんの大事な場面で必ず交流をしているようですし、吉永さんが言うようにまさに“親子”のような関係性でとっても素敵です!
岡田太朗のために自宅をバリアフリーに改装
画像引用元:JIJI .COM
吉永小百合さんは高齢な夫(岡田太朗さん)のために自宅マンションをバリアフリーに改装したそうです。
工事中に新たに購入して夫婦で住んでいたマンションが気に入ったため、吉永さんは新しいマンションを拠点に仕事をし、岡田さんは体力が衰えていたため改装したバリアフリーのマンションで生活していたとのこと。
別居という形になった訳ですが、互いのマンションは車で20分程の距離だったようで吉永さんは度々岡田さんのマンションに訪れていたようです。
現在は再び、同じマンションで一緒に暮らしているといわれています。
今回は吉永小百合さんの夫・岡田太郎さんについて詳しく調べてみました。
岡田太郎さんは一般人なので、結婚当時のお写真しか見つからず、出身や最終学歴なども分かりませんでした。
しかし吉永小百合さんの過去のインタビューなどから、お互いの人生を尊重したうえでの結婚だったこと・吉永さんにとって岡田さんは「最良の伴侶」だったことが伝わってきました!!
後年、この結婚をしていなければ女優を やめていたかもしれないと語った吉永小百合さん。
吉永小百合さんが日本を代表する大女優として活躍できるのも、夫の岡田太郎さんが影で支え続けているからなのでしょう。
ご高齢なことから死亡説の噂が出たり、肝臓の病気で危篤状態になったこともあった岡田太郎さんですが
現在も、吉永小百合さんと夫婦仲睦まじく暮らされているとのことです。
これからも、オシドリ夫婦の見本として 長生きしていただきたいですね!
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