山田裕貴の父親・山田和利はプロ野球選手で同じ道に進むも挫折!父の言葉で俳優をやり遂げる

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山田裕貴さんと言えば、日経トレンディの『今年の顔』の一人として選ばれたこともある、現在も大活躍中の俳優さんですよね。

なんと父親は元プロ野球選手だったそうですで、裕貴さんも同じ道に進もうとしましたが挫折してしまったようです。

しかし、父の言葉で俳優をやり遂げることができたのだとか。

 

なので今回は、どんなお父さんだったのかや、そして山田さんはカメレオン俳優として有名になるまで、どんな人生を歩んできたのかを徹底的に調べてきました!

 




山田裕貴の父は元プロ野球選手の山田和利

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山田さんの父親である山田和利さんは、1965年6月3日生まれの現在56歳です。

 

和利さんは、1983年、高校生の時にドラフト会議で中日ドラゴンズから4位で指名を受けて入団しました。

投打は右投右打で、守備位置は主に内野手ができ、日本球界初出場は1986年で当時21歳

 

1991年~95年には広島東洋カープに移籍し活躍。1996年に再度中日に復帰するも、ケガで故障し現役を引退されました。

裕貴さんが今年32歳なので、父親の和利さんが25歳の頃の子供ということになりますね。

 

写真はお父様の和利さんの若い頃ですが、目元がなんとなく裕貴さんと似ている気がします。

現役時代は、どんな選手だったのでしょうか?

 

野球選手としての戦績

 

山田和利の特徴は、強打の内野手でした。

 

2019年の広島カープの鈴木誠也などは打率335とトップ成績ですので、それに比べると中盤くらいといった感じですね。

犠打は結構多く、最多は20でした。盗塁成功率は低いですが、盗塁はそこそこ多かったようです。

 

四球は普通、三振はやや多い、出塁率はそこそこ高いです。

併殺打は少なく、死球数は普通です。

 

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画像出典元:野球丼
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画像出典元:野球丼
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画像出典元:野球丼
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画像出典元:野球丼
年度 球団 試合 打席 打率 安打 本塁打 打点
1986 中日ドラゴンズ 1 1 .000 0 0 0
1987 12 21 .238 5 0 2
1988 82 153 .268 41 2 7
1990 29 40 .200 8 0 3
1991 広島東洋カープ 6 10 .200 2 0 1
1992 93 266 .282 75 8 29
1994 49 70 .200 14 0 7
1995 94 304 .270 82 12 53

 

年代別の守備位置

 

守備位置
  • 1987年:サード
  • 1988年:ショート
  • 1990年:セカンド
  • 1992年:セカンド兼サード
  • 1994年:ファースト兼セカンド
  • 1995年:ファースト

 

現役中の累計戦績

 

期間内累計成績 (1986~1995)

 

  • 打率.262
  • 本塁打22
  • 打点102
  • 盗塁21
  • 試合366
  • 安打227

 

現役中の平均戦績

 

期間内平均成績(1986~1995)

 

  • 打率.262
  • 本塁打2.8
  • 打点12.8
  • 盗塁2.6
  • 試合45.8
  • 安打28.4
  • 出塁率.341
  • 長打率.388

 

366の試合に出場し、打率は262と大活躍しました。1989年には1試合に3本塁打を記録しています。

 

山田和利はどんな選手だったのか

 

中日で”俊足の2番遊撃手”として活躍した山田さんは、91年に広島に移籍してから”強打の6番一塁手”として躍進します。

背番号は33→30→21→16→25→7で、1991年から1995年は「25」でした。

 

中日時代は三塁打や盗塁が多く、俊足を生かしたプレイスタイルだったようですね。

内野手としては良い選手だったようなのですが現役時代、中日には内野手が充実していた為、なかなか一軍定着が難しく悩んでいた時期があったようです。

 

中日から広島へ移籍した後も、広島カープには野村謙二郎や三塁手に江藤智がいた為、移籍後すぐは6試合しか出場できない状況でした。

 

 

88年に中日ドラゴンズが優勝した映像に、山田和利さんも映ってました!

 

年棒はいくらだったのか

nenpou画像出典元:野球丼

 

2021年のプロ野球選手の平均年俸は4,174万円と言われています。

約30年前と言う事を加味しても、山田さんの年俸は決して高い方ではないですね…。

 

コーチとしての実績

出典:akinomono.jp

 

  • 1997年:二軍打撃コーチ
  • 1998年:一軍内野守備・走塁コーチ
  • 1999年~2001年:一軍打撃コーチ
  • 2002年~2003年:二軍内野守備・走塁コーチ
  • 2004年:二軍野手総合チーフコーチ
  • 2005年:フロント入り
  • 2011年:広島の二軍守備・走塁コーチ
  • 2012年:球団編成を担当
  • 2015年:再び広島の二軍守備・走塁コーチ

 

引退後は中日・広島でコーチや球団編成を務めており、2015年から2021年11月まで、再び広島の二軍守備・走塁コーチを務めました。

 

学生時代はキャプテンで100メートルは11秒台

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画像出典元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

              

 

愛知県名古屋市出身の山田和利さんは、地元の名古屋市立豊正中学校から野球の名門・東邦高校へ進学して甲子園を目指しました。

 

当時は中京高校が強かったこともあり、残念ながら甲子園出場は逃しましたが、100mを11秒台で走れる俊足主将を務めたキャプテンシーが評価され、ドラフト会議で中日ドラゴンズから4位で指名を受けて入団。

ちなみに同年代には同年代にはレオ(元中日)藤王(元日本ハム)がいます。

 




山田裕貴もプロ野球選手を目指すも高校ではバレー部に

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山田裕貴さんは少年時代、父の姿に憧れて野球を始め、小学3年から野球を始めました。

 

中学3年間は学校の野球部には入らず、地元の硬式野球の強豪チーム「名古屋北シニア」に所属しています。

しかしプロを目指して頑張っていましたがレギュラーにはなれなかったそうです。

 

「プロ野球選手の息子って言われるのもプレッシャーで、僕が父を追いかけているのか、ちゃんと自分の人生を生きているのかわからなくて。何のために野球をやり始めたんだっけって悩み始めたら、全然頑張れなくなっちゃって」

と、思い悩んだ末に中学で野球から離れてしまいます。

 

父からは「俺は野球をやれとは言っていない。だけど、お前がやるって言ったことを何で最後まで続けなかったんだ」と叱られたそうです。

その後、父の母校である野球の強豪校、東邦高に進学しましたが、野球部には入らず、バレーボール部に入部します。

 

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東邦高に進学したのは、もしかしたら野球を続けようか迷っていたからかもしれませんね。

 

野球はやめたけど、高校でも人気者だったみたい!

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父の言葉のお陰で俳優をやり遂げようと決心

 

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中学で野球を辞めてしまった裕貴さんでしたが、父親のやると決めたことを何故続けないのか?」という言葉で俳優を目指す決心をしたようです。

 

自分がやるって決めたことをやめた時って、ものすごく後悔するんだなと思って。だから、次挑戦するって決めたことは絶対死ぬまで続けようって思ったのが、この俳優のお仕事」

と、話しています。

 

「自分も有名になりたい」という想いと、妹の勧めもあり、高校卒業後山田裕貴さんは大学には進学せず、演技の勉強のため「ワタナベエンターテイメントカレッジ(WEC)」に入学します。

WEC在学中の、2010年に山田裕貴さんはD-BOYSスペシャルユニットオーディションを受けました。

 

D-BOYSというのは、ワタナベエンターテインメントカレッジに所属する若手イケメン俳優グループのことです。

当初、山田裕貴さんは、このオーディションには合格できませんでした。

 

しかし事前投票で1位だったという功績により、急遽作られた『D-BOYS部門』のグランプリに輝いたのです!

 

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画像出典元:アマゾン

 

そして山田裕貴さんはD-BOYS、そしてD-BOYSの弟分であるD2のメンバーになり、ワタナベエンターテインメントに正式に所属することにもなり、芸能活動を始めます。

2011年に『海賊戦隊ゴーカイジャー』に出演し、俳優デビューを果たしたあと、2017年には大河ドラマ『おんな城主直虎』にも出演。

 

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画像出典元:NHK

 

この2017年は山田裕貴さんにとって飛躍の年であり、14本出演した映画の内12本が公開されています。

この頃から山田裕貴さんの演技力が高く評価され「カメレオン俳優」と呼ばれるようになっていきます。

 

さらに2019年には主演を務めた舞台『終わりのない』で、文化庁芸術祭賞演劇部門新人賞を受賞。

2020年には『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2020』でニューウェーブアワード(男優部門)も受賞しています。

 

次々と賞を受賞したことで、俳優として広く認知されていったみたいですね。

 




普段褒めない父だが「裕貴」はよくやっていると褒める

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画像出典元:エンタメRBB

 

2021年12月放送の『人生最高レストラン』(TBS系)に出演した際、山田裕貴さんの妹に聞いた“父が息子のことをどう思っているのか”という声を紹介しました。

 

褒める父ではないですが、『裕貴はよくやっている。俺にはできないことだからすごい』と前にポロッと言っていました。今も出ている映画やドラマは必ずチェックしているし、映画館に大きく張り出されているポスターを見て『大きく名前載ってるね』と嬉しそうにしていました」

 

この話を聞いた山田裕貴さんは「ヤバイっすね」と口を真一文字にし、

「本当に褒めない人だった。あの作品はお前の芝居が良いわけじゃなくて、キャラがハマってるだけだからとか。本当に褒めない人なので嬉しいです」

と目を真っ赤に腫らし、涙を浮かべていたそうです。

 

途中で挫折した野球だが実力はやはりスゴかった

 

2021年2月に自身のInstagramで投げたキャッチボールの動画が話題を呼びました。

 

 

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非公式ですが、1回目の投球が133㎞、そして2回目が驚異の142㎞!

キャッチャーを務めた男性によると、山田さんは3カ月間ほどピッチング練習を続けていたとのことです。

 

念願の初始球式で涙

 

また、2018年8月、山田裕貴さんはナゴヤドームで、中日ドラゴンズVSヤクルトスワローズ戦の始球式に登場。

父で中日OBの山田和利(現・広島カープ二軍守備・走塁コーチ)氏と同じ背番号30のユニフォームをまとって、マウンドに立ちました。

 

 

始球式後、「練習の段階で70%暴投だったので、すごく不安だったのですが、野球の神様がなんとかキャッチャーミットに納めてくれたんじゃないかと思っております」と、安堵の表情を浮かべました。

始球式は俳優の中でも一つの夢で、「あの頃、父の背中を追いかけていた自分を思い出して、この場所で始球式ができたことに貴重な意味を感じています」と涙を浮かべながら話したようです。

 

感動のあまり「マウンドに上がってからは噛みしめることもできないまま、1球が終わってしまったので、またリベンジさせていただきたいです」と再登板に意欲を示しました。

 

実は野球を辞めたことを後悔していた

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裕貴さんが高校3年の時、東邦高野球部が甲子園に出場しました。

球場まで応援に行ったとき、プレーする仲間を見て「俺、何やってんだ…」と物凄く後悔し、涙が止まらなかったそうです。

その後悔があって、俳優の夢はあきらめないで続けようと決めたみたいですね。

 




山田和利の若い頃は山田裕貴と似ていたのかを検証

 

お父さんと山田裕貴さんの顔を見比べると、切れ長の目が似ていなくもないのかな、という印象です。

あとはキリッとした眉毛でしょうか。

 

よく男の子は母親に似ると言うので、もしかしたら裕貴さんは母親似なのかもしれませんね。

そんなお母様は女優の羽田美智子さんに似ていらっしゃるそうですよ。

 

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画像出典元:COLOR CREATION

 

山田裕貴さんと羽田さんは、ドラマ「特捜9」の撮影で一緒に写真を撮られています。

ちなみに後ろ姿だけですが、母親もテレビ出演をされたことがあります。

 

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きっと美人さんなんでしょうね!

 

山田和利が父親だったと知り世間はビックリ

 

SNSで山田裕貴さんと和利さんの関係について調べてみると「知らなかった!」「びっくりした」「切れ長の目元が良く似ている」という声が多く聞かれました。

若い方は『山田裕貴さんの父親が元プロ野球選手』と言う事で驚かれたみたいですが、少し年配の野球ファンの方からしたら、息子が俳優になっていると言う事でびっくりされているみたいですね(笑)

 




2歳下の妹・山田麻生が「情熱大陸」に出演!やはり美人だった

 

あまり世間には知られていないと思いますが、実は、山田裕貴さんには2歳年下の妹がいます!

名前は山田麻生(まい)さんで、1993年3月15日生まれの現在29歳です。

 

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2020年1月放送の山田裕貴さんが出演した「情熱大陸」に初めて映像で登場し、美人で可愛いと話題になりました。

その後は2021年5月放送の「A-Studio」でも写真で登場しています。

どんな人物なのでしょうか?

 

妹はスタイル抜群なモデル

 

上京してプロのモデルを目指していた麻生さんは、『恵比寿17番』というイタリアンレストランで働きながら、レストランの近くにあるMINTという美容室のモデルをしていたようです。

 

現在は恵比寿17番は閉店してしまっていますが、2014年の美容室MINTのブロクに「一念奮起して名古屋から状況したばかりの女の子、抜群のプロポーションです」と載っています。

しかしその後、夢半ばでモデルの道を諦め、地元名古屋に戻ったみたいです。

 

 

アクセサリーや洋服を作るのが趣味で、創作ダンスも得意みたいですね。

 

ドライフラワーショップ『その灯くらし』というお店の店員を務めながら、フリーのモデルとして活躍されていたみたいです。

ですが、2022年3月25日から東京都のモデル事務所「STANFORD」がマネジメントすることになったようです!

 

 

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すでに上京して都内で生活されているようですね。

 

身長は公式には発表されていませんが、「A-Studio」でMCの鶴瓶さんと並んだスナップが紹介された際、鶴瓶さんと同じくらいだったので身長は恐らく173cmぐらいだと思われます。

足が長くてスタイルが抜群と言われています。

 

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山田裕貴さんの身長が178cmらしいので、二人で歩いていたらきっと目立つでしょうね。

 

妹の結婚についてや学歴は?

 

28歳と言う事で、結婚していてもおかしくない年齢だと思われますが、今のところ結婚しているかどうかについての情報は見つかっていません。

インスタグラムをされているので、もしかしたら今後そちらで発表があるかもしれません。

 

彼氏についても調べてみましたが、残念ながらそれらしい情報はありませんでした。

ただ、麻生さんは美人でスタイル抜群ですから、彼氏がいてもおかしくありませんよね。

 

学歴についての詳細も不明ですが、兄の山田裕貴さんが名古屋市千種区の若水中学校出身であることから、中学校は同じである可能性が高いかもしれません。

 

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画像出典元:ウィキペディア

               

 

高校はもしかしたら、野球の名門校に入ったお兄さんとは別の高校に通っていたかもしれないですね。

 

モデルを目指したきっかけは兄・山田裕貴

 

芸能界入りした兄を見て、麻生さんもモデルになることを決めたようです。

一度モデルになる夢を挫折した時も、東京から名古屋へ戻った麻生さんを、裕貴さんが励ましたそうです。

 

お互いの夢を応援し合える仲っていいですよね。

二人は兄妹仲がとても良いらしく、お互いに兄妹の話題をSNSで上げています。

 

 

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ちなみに麻生さんは裕貴さんのことを「裕くん」と呼んでいるそうですよ!

 




山田裕貴はハーフと言われているが家族全員日本人

 

山田裕貴さんには韓国人と日本人のハーフではないのか?という噂があるようです。

何故そのような噂が立ったのか調べてみると、どうやら韓国人っぽい顔立ちをされているからみたいです。

 

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上の画像が韓国の歌手のファンチヨルさんという方なのですが・・・確かに似ていますね(笑)

 

また、韓国好きらしく、ツイッターでも時々韓国について呟いていることで疑惑が浮上したようです。

 

 

母親は一般人と言う事で特に情報は出てきませんが、出身地が愛知県名古屋市で、両親は高校の時から交際していたようですので、裕貴さんが韓国人のハーフという噂はデマである可能性が高いです。

 

 

今回の記事はここで終わりです。

山田裕貴さんのお父さんは、現役時代の成績からしたら、凄く活躍した選手とは言えないかもしれませんが裕貴さんから見れば、とても尊敬できる偉大な父親だったみたいですね。

進む道は違っても、兄妹揃って芸能界入りしてるなんて、やっぱり父親の才能を引き継いでます。

これからの活躍に期待しています。

 

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