工藤静香さんは、歌手・女優・タレント・画家としてマルチな才能がある女性です。また、木村拓哉さんの妻であり、Cocomi.さんやKoki.さんの母親でもあります。
今回は、そんな工藤静香さん自身のご家族についてご紹介します。
父親や兄はすでに他界していて、母親は工藤静香さんそっくりの美人で、現在はほぼ同居状態なのだとか。
実際のところはどうなのかを見ていきましょう!
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工藤静香がインスタグラムで兄のお墓参りを投稿
工藤静香さんには兄がいましたが、工藤静香さんが中学生の頃に亡くなりました。
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2020年に36年経ったと書いてあるということは、1980年代に亡くなったということです。
お兄さんもまだ若かったでしょう。
お兄さんのことについてはインスタに出てくるぐらいで、画像や名前など詳しいことは公開されていません。
インスタの文言からわかるように、工藤静香さんより2歳年上ということだけです。
工藤静香さんから想像すると、細身でキリッとした顔立ち、長身のイケメンのお兄さんだったでしょう。
きっと自慢のお兄さんだったと思います。
兄はバイク事故で10代で亡くなる
お兄さんはどうして亡くなったのでしょうか。
工藤静香さんがまだ中学生の時に亡くなっています。バイクの事故で亡くなったとか。
交通事故だったのか、誰かと同乗していたのか詳しい情報はわかりません。
大好きなお兄さんが多感な思春期に亡くなってしまった工藤静香さんのショックはかなり大きかったでしょう。
今でもテレビで話したり、お墓参りをインスタで報告したり、まだ悲しみは癒えてないようですね。
ヤンキーや暴走族だったとの情報が
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中学3年か高校生の時に、バイク事故で亡くなったということから、お兄さんはヤンキーや暴走族だったと噂されています。
実際、はっきりしたことはわかっていません。
次にご説明しますが、工藤静香さん自身もヤンキーだと思われていたので、同じように兄もヤンキーだと思われたのではないのでしょうか。
ヤンキーや暴走族だったと確定されたわけではありません。
工藤静香はヤンキーだったのか
工藤静香さんは幼い頃から可愛らしく、劇団東俳に所属していました。
面影ありますね。
芸能界に入るきっかけは、雑誌「セブンティーン」のコンテストで特別賞を受賞したこと。
同じコンテスト出身者とアイドルグループを組んでアイドル活動を始めますが、鳴かず飛ばず。
その後「夕焼けニャンニャン」の「おニャン子クラブ」に応募して合格、38番として人気がでてきます。
ユニット「うしろ髪ひかれ隊」として徐々に頭角を現します。
そこからソロのアイドルとして大人気アイドルとなりますが、他のアイドルとひと味違いました。
立ち上げた前髪、茶色く染めたロングヘア、少し派手めなメークや尖ったファッション。
ヤンキー女子のファッションリーダーになり、ヤンキーや暴走族の女の子たちのあこがれの的になっていました。
同時に、暴走族やヤンキーの男の子たちからも絶大な人気があり、工藤静香さんが移動するときは常に暴走族が先導し、コンサート会場では会場周りをバイクが何周も回るなどの行為がありました。
工藤静香さん自身、その事をテレビで話されていますし、コンサート会場でそういう人たちが喧嘩したこともあったそうです。
そんなエピソードから、工藤静香さんはヤンキーだと言われていました。
見た目はそうでも、実際ヤンキーかどうかはわかりません。
クロ
父親・工藤勘七も他界している
工藤静香さんの父親は勘七さん。
青森県旧蟹田町(現在の外ヶ浜町)出身で、工藤静香さんも幼少の頃に父親の青森の実家で暮らしていたこともあったとか。
工藤静香さんは「よくしゃべる父親」と話していました。
そんな勘七さんは、2005年に62歳で亡くなっています。
死因は虚血性心不全だと言われています。
まだまだ若くてこれからという年齢で、工藤静香さんもショックだったでしょう。
メリー
職業は板前だったが画家でも活躍していた
勘七さんの職業は板前で、「津軽」という名前の割烹料理店を営んでいました。
今はもうないですが、場所は実家近くの東京都羽村市にあったようです。
東京都に住んでいても、やはりふるさとの津軽のことは愛着があったのでしょう。
板前として腕を振るう傍ら、工藤静香さんと同様、画家としても活動していました。
娘の影響ではないかとも言われています。
けれども、才能は十分あったようで、工藤静香さんから遅れること数年、1996年に親子で二科展に入賞。
勘七さん自身の個展も青森郷土館や東京でも開かれたことがあります。
また、勘七さんの亡き後、工藤静香さんが親子展を開きました。
ヤ○ザだったというウワサは間違い
勘七さんがや○ざだったというウワサがありました。
あくまでもウワサで、勘七さんは板前や画家として活動したことから、完全な間違いです。
一説では、工藤静香さんが酒井法子さんとサーフィン仲間で仲がよく、その酒井法子の父親がや○ざなので工藤静香さんの父親もそうではないか、と思われていたというもの。
また、芸能界はよく裏社会とつながりがあるとも言われていて、工藤静香さんがヤンキーのように見えたこともあって、そのようにウワサされたのではないかというもの。
どちらにしても、根も葉もないウワサです。
母親・工藤武子はインスタグラムで登場している
工藤静香さんの母親は武子さんといって、北海道の富良野出身。
今でもいろいろ美味しいものなどが送られてくるそうです。
2人はとてもそっくりとネットをざわつかせていますが、どんな方だったのかご紹介します。
元美容師で小料理屋で働いていた
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武子さんは、美容師をしていたそうです。
その後、勘七さんが割烹店を開いたことから、その小料理屋を手伝っていました。
美容師や女将さんということは、かなり働き者の母親だったのでしょうね。
そんな両親の姿をお手本に、工藤静香さんも仕事と家事を両立しているだと思われます。
武子さんは現在、工藤静香さんの個人事務所を手伝っていて、2人の孫や静香さんのプロデュースをしていると言われています。
メリー
工藤静香と母親は仲良し
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とても仲が良い、工藤静香さんとお母さんの武子さん。お揃いのかばんが、とても素敵。
母親の武子さんはもう今年で81歳になります!お誕生日も一緒にお祝いしています。
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なのに、とてもスリムでスタイルが良く、かなり若く見えますね。とてもおしゃれで、憧れの親子です。
もちろん、隣に住むぐらいなので、婿の木村拓哉さんとも仲良しだと思われます。
木村家の隣に住んでいてほぼ同居状態
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母親は、工藤静香さんが若い頃プレゼントした中目黒の家に住んでいます。
その後、工藤静香さんは木村拓哉さんと結婚。母親にプレゼントした家の隣の土地を購入して、豪邸を建築しました。
自宅が出来上がるまで、母親の家に同居していたようです。
もちろん新居が立っても隣同士なので、ほぼ同居状態と言えます。
子宮がんになり5年間もの闘病生活を送っていた
武子さんは、子宮がんになり、5年間も闘病生活を送っていたそうです。
具体的な時期はわかりませんが、父親の勘七さんが亡くなった後ではないかと言われています。
兄も父親もすでに他界していたのならば、工藤静香さんの心労は計り知れないものだったでしょう。
5年間もの長期間、献身的に看病したそうです。
そのかいもあって、現在は回復されているようです。
工藤静香さんのインスタに度々登場するところを見ると、まだまだお元気なように見えるので、このまま長生きしてもらいたいですね。
愛犬・べべも亡くなっていた
愛犬家として知られる工藤静香さん。
現在3匹の犬を飼っています。
2018年のインスタで、その1年前に愛犬のべべが亡くなっていたことを告白します。
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「悲しみが深すぎて、言い出せなかった」とのこと。
家族同然の愛犬が旅立つのは、辛いものです。
そして、今年の1月に、最長老だったバブちゃんも天国に行ったそうです。
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多頭飼いしていても、1頭いなくなるだけでもかなり喪失感があるでしょうね。
また新たな犬をお迎えするかもしれませんが、いなくなった愛犬を思うと寂しいことと思います。