今、イケメン俳優として急成長している岡田健史(おかだけんし)さん。
岡田健史さんですが、高校生活は野球部でキャッチャーもしていました。キャッチャーと言ったら、野球の要です!
それもレギュラーを務めるとは、彼の野球の実力が高いことを物語っています。イケメンでキャッチャーもしていた岡田健史さん、モテモテですよね!
なんと中学卒業式では学生服のボタンが袖のボタンまで全てなくなっていたそうです。
今回は岡田健史さんが野球漬けの高校時代を徹底的に調べてみましたので是非ご覧ください!
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岡田健史が通っていたのは創成館高等学校
引用:創成館高等学校
岡田健史さんの出身高校の創成館高等学校は長崎県諫早市にあり、偏差値38~42の学校になります。
写真を見てみると広々とした校舎ですね!野球の強豪校であり、甲子園に出場する名門校です。
また、教育方針は他校とは違い、一人一人が自分に合った学習をできるように考えられています。
特色としては「夢map」「7つの習慣」などを活用することで皆、一人ずつ考え、自分の存在意義を確認することを目指すのです。
自分で人間力を切り開けるような教育法も一つの特色だといえるでしょう。
部活も活動的に行われ、「運動部」も「文化部」もみんなが目標を持って日々活動しているとのこと。
岡田健史さんはこのような学校で高校時代を過ごしました。この3年間で彼の精神は鍛えられ、今の人柄ができたのではないでしょうか。
きっと現場でも礼儀正しく、女優さんにもモテそうですよね。
ここで岡田健史さんのプロフィールをみておきましょう。
- 名前:岡田健史(おかだ けんし)
- 本名:水上恒司(みずがみ こうし)
- 生年月日:1999年5月12日
- 身長:180㎝
- 体重:67㎏
- 血液型:O型
- 学歴:福岡市立和白丘中学・創成館高校(長崎県)・福岡工業大学中退の噂もあります
- 職業:俳優
- 事務所:スウィートパワー
彼の名前は本名ではなかったんですね。本名かと思っていました。
うさたん
野球のポジションはキャッチャーだったが、レギュラーになれず
引用:スポーツ報知
小学2年生から野球を始め、地元の硬式野球チーム「ヤング福岡ライナーズ」に所蔵するなど、野球漬けの毎日を送ります。
こちらが小学生の時の岡田健史(本名:水上恒司)さんです。
もうすでにイケメンですね!このころからモテたのかもしれません。
中学校は福岡市立和白丘中学校に通います。ここで入ったクラブでは硬式野球をしていたそうです。
そして、高校は親元を離れ、野球強豪校の創成館高等学校の特特生としてスポーツ推薦で進学しました。
しかし、その間も熾烈なレギュラー争いは行われました。強豪校だったこともあり、周りのレベルも高くレギュラーになれなかったのです。
創成館高等学校は平成25年の春、平成27年の夏、平成30年の春、夏、令和2年の春(コ○ナにより中止)に甲子園への出場を果たしたのです。
岡田健史さんはレギュラーとして先発することはできず、目標としていた甲子園への夢も叶えることができず引退をしてしまいました。
そして、小学校の時からの夢であった「プロ野球選手になる」という夢はあきらめることにしたのです。
唯一先発で出た試合がありますそれが「第99回全国野球選手権長崎大会」の3回戦。成績は4打数2安打でした。
少し画像が小さく見えにくいのですが、キャッチャーである「補」の水上さんが岡田健史さんのことですね。
クロ
自分は特待生として高校に入って、自分たちの代で甲子園に行く、野球で結果を残すことが高校への恩返しだと思ってたんですけど、甲子園に行けなかった。
岡田健史さんが在籍していた間に創成館高等学校が残した記録はこのようになっています。
- 平成29年度長崎県高等学校1年生退会「優勝」
- NHK杯長崎県高等学校野球大会「優勝」
- 九州地区高校野球長崎県大会「優勝」
- 第97回全国高等学校野球選手権長崎県大会「優勝」
実は、2018年ドラフトで阪神に5位指名を受けた「川原陸」選手とはバッテリーを組んだこともあったそうです。
また、高校生時代もモテモテで、イケメンすぎて同級生のお母さま方からも「マスクを外してー」と言われているぐらいだったそうです。お母さんがたにも岡田健史さんはモテていていました。
岡田は高校当時キャッチャーだったが、藤ヶ谷が取材をした友人たちの話によれば、練習や試合のときに女の子が大勢見にきて「キャッチャーミットはずして」という声が飛んでいたという。
岡田も「マスクをはずしてプレーしてほしいって言われた」と明かし、「死ぬって」と苦笑いしていた。
引用:日刊大衆
またこのようなTwitterがあります。
キャッチャーってすごいって気付きました❣️岡田君のお陰で❣️
— em.🐎✨✨✨🌸🐎✨✨✨🌸✨ (@0811zoe) November 18, 2018
大人気ですよね!確かにこのころの岡田健史さんもとてもイケメンでモテるのも当たり前です!みなさんがほっとくはずないですよね。
奥様方にもこれだけモテていたのですから、同級生が騒がないはずありません!やっぱり彼は学生時代からモテモテだったのでしょう。そんな素敵な人がいたら勉強も頑張っちゃいそうです。
モテモテだったはずだが告白はされず
引用:Yahoo!ニュース
モテモテの岡田健史さんですが、実は告白されたことがなく、告白していたそうです。
また、好きな女性のタイプはなく、どちらかというと好きになった子がタイプ、という感じで人により、タイプが変わるそうです。
岡田健史さん自身もこのように話していました。
岡田さんが学生時代の恋愛事情について「告白はされなかったです」「告白してました」と明かす様子が収められている。
さらに、MCの笑福亭鶴瓶さんに「同じ高校の?」と聞かれた岡田さんが「他校でも……」と明かし、「(告白は)同時多数にじゃないですよ」と付け加えて、「当たり前や!」と鶴瓶さんに突っ込まれる場面もある。
引用:毎日キレイ
あまりにイケメンすぎて彼女がいて当たり前、という感じで告白をする人はいなかったのではないでしょうか。
イケメンすぎるとついつい、声をかけずらいものですよね。
創成館高等学校の野球部のころは、岡田健史さんが彼女をつくのはほぼ不可能に近かったと思います。
それは、毎日とてもきつい練習が続いていたのです。朝5時に起き、朝練をしてから授業。授業後には夜9時まで練習。
土日には練習や試合があり、お休みはお盆や年末年始のみだそうです。
サルの助
野球部を引退した後演劇部に所属
引用:Yahoo!ニュース
野球を引退した後、演劇部の顧問の先生の助っ人に呼ばれた岡田健史さんは軽いノリで請け負うことにしました。
この時のことをこのように話しています。
「野球部を引退した後に、演劇部の顧問の先生から助っ人として大会に出てほしいと頼まれたのがきっかけです。
演劇部の男子キャストが役にハマらないということで、顧問の先生が誰かいないかと探していた時に、校長先生が僕の名前を出してくださったみたいで」
引用:高校野球ニュース
このような気持ちで引き受けたのですが、実際に演技をしているととても楽しくなってきたそうです。また、段々とレベルも上がり、真剣に取り組むようになりました。
何事も褒められ、それを体感できると楽しくなり、それによってさらにレベルも高くなりますよね!
岡田健史さんもその一人だったのではないでしょうか?何がきっかけで開花するのか、それは本当に人それぞれですよね。
演劇での大会をキッカケに俳優を目指す
引用:Yahoo!ニュース
助っ人として演劇部の男子キャストに抜擢された岡田健史さんですが、なんと県大会で審査員に名指しで褒められたのです。その時のことを次の方に話しています。
「実は、俳優になろうと決意した大きなきっかけが、長崎県大会の時に審査員の方から名指しでお褒めの言葉をもらったことなんです。
何十年も演劇に携わっている顧問の先生からも「名指しで褒められている人は、めずらしい」と言われて。
自分なりに取り組んだ結果が評価してもらえたことはもちろんですが、(名指しでの賛辞は)滅多にないことだと知って、よりうれしかったですね。」
引用:高校野球ニュース
そして県大会では創成館高等学校が優勝しました!その大会には170校以上が参加していたそうで、本当にすごい成績をおさめましたね。
特攻隊員を演じる役で岡田健史さんは初めて演技をします。
こちらは創作劇「髪を梳(と)かす八月」という演劇です。
演劇部の顧問の先生、塚原政司先生の脚本でした。
演劇部の顧問でしたが、実はとても有名な方で、こちらのTwitterで岡田健史のことを「岡田パイセン」と書かれています。
素晴らしいドラマでした。
岡田パイセンお疲れっした!
たまには演劇部の稽古場に遊びに来てください!(笑) https://t.co/Re0R86Kwcb— 塚原政司 (@tsukachan82) September 4, 2020
セリフは「こんにちは」だったそうです。役は特攻隊員でした。岡田さんのイメージにぴったりではないでしょうか!この演技をしていくことで「ワクワク感」が出てきたそうです。
また、岡田健史さんはこのようにも発言しています。
部活を引退して、「大学に進んで、また違うレベルのところで野球をやり直そう。そして将来は、なんでもいいから野球に携わる仕事に就こう」と、そんな風に思っていたとき、演劇部の顧問の先生に呼び出された。
「演劇部の大会に出てみらんや〜」
そのときは軽いノリで、「いいっすよ」と答えた。俳優になろうなんて、一ミリたりとも考えたことはなかった。
1945年の8月9日、長崎に原爆が落ちる11時2分より1時間前の、ある家族の日常を描いた物語。健史くんは、主人公の女の子のいとこのところに、特攻隊に入ることを報告しにいく役だった。
「演劇に力を入れている高校だったこともあって、いざ大会に出場してみたら、地区大会、県大会とレベルが上がっていく。
そんな中で、審査員や観客の方に評価していただいたこともあって、どんどん、言葉にできない感情……なんとも言えない高揚感や感動を覚えるようになったんです。
お芝居ってすごいと思いました」
引用:ViVi
これで彼が役者の道に進み、今尚急成長しているのがわかってきましたね。
こちらえは演劇部の塚原先生のことが語られています。
メリー
実は中学から高校3年の5年間スカウトされていた
引用:Yahoo!ニュース
岡田健史さんなんと中学1年生の時に芸能事務所「スパイスパワー」からスカウトを受けます。
一番初めは事務所に名前を教えてしまったことをお母さんに怒られてしまったそうです。
しかし、中学一年生から高校3年生までの5年間、スカウトの方は毎年挨拶にこられました。
最初のことはよく覚えています。中1の冬で、給食袋の袋を振り回しながら帰っているときに呼び止められて。そんな中で名前を聞かれたりして正直に答えて、家に帰ってお母さんに言ったら名前教えるなんてとすごく怒られて(笑)。
それだけ、スカウトをしに来た方は岡田健史さんのことが魅力だったのでしょう。
そして、岡田健史さんは俳優になろうと決心した時に、今の事務所である「スパイスパワー」に連絡。
事務所の方々は大変喜んだのではないでしょうか。5年にもわたって続けてきたスカウト。やっと実りましたね。
クロ
高校の卒業式で功労賞を受賞し答辞も務める
引用:スポーツ報知
2018年、高校卒業式では答辞を務め、功労章も受賞しています。
それほど勉強も、そして野球もできていた岡田健史さんの評価だったのではないでしょうか。
そして、岡田健史さんは高校を卒業してすぐ上京したのですが、ある噂が流れました。
それが「福岡工業大学」へ進学したというものですが、上京していたので、それはないでしょう。
岡田健史さんの野球への熱量。それを周りの大人はわかっていたということでしょう。
そのようにまじめに、真剣に生きてきた岡田健史さんの生き方は素晴らしいものがあると思います。
野球で得られるものは大きい
引用:Yhoo!ニュース
長年、岡田健史さんがやり続けていた野球。実は野球はいろいろなことを身につくスポーツなんです。
どのようなスキルかというと
- コミュニケーション能力(考える力)
- 考えて行動する力
- 礼儀(挨拶)
- 協調性(相手を思いやる)
野球は団体競技です。どのプレイをとっても、人とのかかわりがあります。このため、連携を密に取らなければ簡単に負けてしまいます。
他の生徒とコミュニケーションをし、それをもとに試合が行われます。そして、一人一人が考えて行動に実行することになります。
一つの例として「盗塁」が考えられます。盗塁は走る人だけが勝手にやっているわけではありません。塁にいる選手とバッターとの連携でどうするか決まってきます。
このように、野球は一人では行えないことです。
また、挨拶を徹底的に身にしみこみます。別に野球をやっていたら挨拶をするのか、そうではありません。ただ、その度合いが違うのです。
野球をやっているとまず初めにこの「挨拶」から始まり、また「挨拶」で終わります。
先輩への挨拶、先生、顧問の先生への挨拶、保護者の方への挨拶。これを破ることは許されません。
岡田健史さんはこの「挨拶」を徹底的にしみこませました。これにより、演技に入る時、途中、終わる時。しっかりと挨拶ができるのだと思いまます。
このように見てみても、岡田健史さんは野球をやっていて良かったのではないかと思います。それにより、周りから評価をされ、しっかりと受け答えや考える力もある。
これが岡田健史さんの強みになっていくのではないかと思います。
まとめ
引用:Yahoo!ニュース
では今回の記事をまとめていきましょう。
- 創成館高等学校は一人一人に合った学習ができるよう「夢map」「7つの習慣」を活用している。
- イケメンすぎて周りは告白することができなかった。
- 出場試合では、「4打数2安打」と大健闘!
- 野球を引退後、軽いノリで演劇部の助っ人として出る
- 演劇の県大会で審査員の方に名指しで呼ばれたことがきっかけで演技に興味を持った。
- 中学1年生から高校3年生までの5年間、毎年スカウトの人が挨拶に来ていた。
- 高校では答辞を務め、功労章も受賞
- 野球で得るものは「コミュニケーション能力」「考えて行動する力」「礼儀」「協調性」を得て、今の岡田健史さんがいる。
これからさらに活躍される岡田健史さんをこれからも応援していきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。