となりのトトロや、千と千尋の神隠しなど、スタジオジブリ作品で有名な宮崎駿さん。たくさんのアニメーション作品を手掛け、日本だけではなく海外からも人気です。
しかし、そんな宮崎駿さんよりも絵の上手さで評価が高く、将来を期待されていた人物がいます。
その人物とは、宮崎駿さんの嫁(妻)である大田朱美さんです。宮崎駿さんよりも絵がうまい大田朱美さんとは、どんな人物なのでしょうか?
宮崎駿さんの嫁・大田朱美さんについて、くわしく調べてみました!
さらに、宮崎駿さんと大田朱美さんの馴れ初めや、子供時代の二人の息子にとって、宮崎駿さんはどんな父親だったのかをご紹介します。
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宮崎駿の嫁は大田朱美
何度も一線から退くことを宣言したにもかかわらず、それをことごとく撤回し、現在も作品を創り続けている宮崎駿さん。
そんな宮崎駿さんの嫁(妻)は、大田朱美さんという方です。
版画家の大田耕士さんを父に持ち、朝ドラ「なつぞら」三村茜のモデルとも言われている大田朱美さんは、どんな方なのでしょうか。
プロフィールや写真を含め、詳しくご紹介します。
大田朱美(おおたあけみ)
- 正式な表記:太田朱美
- 本名:宮﨑 朱美
- 別名:宮崎 朱美
- 生年月日:1938年生まれ
- 職業:アニメーター
- 夫:宮﨑駿
- 家族:(長男)宮﨑吾朗・(二男)宮﨑敬介
私には、キリッとした目でしっかりと先を見据えていて、芯がある方のように見受けられます。
クロ
大田朱美さんは、兵庫県に生まれ、東京都立豊多摩高等学校卒業後、女子美術大学短期大学部に進学。
大学を卒業した後は、東映動画 (のちの東映アニメーション)に入社。
白蛇伝、ガリバーの宇宙旅行、長靴をはいた猫、どうぶ津宝島など、アニメーターとして数々の作品に携わっています。
大田朱美さんは、結婚後も共働きで仕事を続けることを条件に、夫・宮崎駿さんと1965年10月に結婚。
しかし、子育てに専念するため、1972年に東映動画を辞めています。
大田朱美は宮崎駿よりも期待されたほど絵が上手い
大田朱美さんについて、宮崎駿さんと長い付き合いのある友人は次のように話しています。
「奥さんは東映動画の先輩アニメーターで、“絵のうまさ”で高い評価を受けていたんです。当時は、宮崎さんより将来を嘱望されていたそうですよ」引用元:女性自身
クロ
また、宮崎駿さんが会長を務める市民団体「淵の森の会」の事務局長・安田敏男さんは、大田朱美さんにはアニメーターの仕事に未練があったと語っています。
「奥さんは『絵は私のほうが宮崎よりもうまいのよ』と言うんです。『でも、結婚したら私が絵を描く仕事をやめることになっちゃった』と、私に寂しげに愚痴を漏らしたこともありました。本当は、自分の作品も作りたかったんでしょうね……」 引用元:女性自身
結婚後も仕事を続け、2人で助け合ってやってきた家事や子育てですが、宮崎駿さんがプロダクションを移籍し、仕事が忙しくなったことで共働きには限界を感じます。
ずっと続けたかったアニメーターの仕事でしたが、2人目が生まれ、しばらくしたあとに大田朱美さんは引退しています。
クロ
大田朱美さんは、東映動画に勤めていたときに、育児記録として2人の子供のイラストを描いています。
「初めて立った」「寝返りをうった」などの些細なことをスケッチにつづった子育て日記です。
この絵は「ゴローとケイスケ」という本になっており、当時の大田朱美さんの絵を見ることができます。
ほんわかとしていて優しく、子供の生き生きとした可愛さが分かる絵です。
宮崎さんの絵も混ぜられており、あとがきでは父と息子の関係が書かれています。
『トトロの生まれたところ』
宮崎 駿 監修
スタジオジブリ編
【発売日】2018/05/29
【価 格】1,200円+税【発 行】岩波書店
ジブリ映画「となりのトトロ」の舞台となったのは、お二人が住む所沢。
大田朱美さんが所沢で描いた四季折々の自然の魅力や植生のスケッチ日記と、宮崎駿さんが描いたイメージボード、所沢への思いを語ったインタビューが掲載されています。
この2つの本は、お二人の共同作品ですね。
現在は公益財団法人トトロのふるさと基金の理事をしている
二人の息子を育てるためにアニメーターの仕事から退いた大田朱美さん。
現在は、公益財団法人トトロのふるさと基金の理事をしています。
トトロのふるさと財団は、狭山丘陵周辺の「トトロの森」などで、※ナショナルトラスト活動を中心に、緑豊かな里山や文化財を保存活用するために活動を行っています。
クロ
トトロのグッズを販売した収益金やボランティア、寄付金によって取得した土地は「トトロの森」と名付けられていて、現在では56か所ものトトロの森が誕生したそうです。
朝ドラ「なつぞら」のモデルになっていた
2019年4月1日から半年にわたってNHKで放送された、朝ドラ「なつぞら」。
主人公の奥原なつが、アニメーターとして勤務したアニメ制作会社「東洋動画」は、宮崎駿さんと大田朱美さんが勤めていた「東映動画」がモデルになっています。
登場人物も、当時、東映動画に在籍していた人物がモデルになっているのではないかと噂されています。
このとき実際に、在籍していた女性アニメーターで原画を担当していたのは、奥村玲子さん、中村和子さん、大田朱美さんの3人だけです。
- 奥村なつ(広瀬すず)…奥村玲子
- 大沢麻子(貫地谷しほり)…中村和子
- 三村茜(渡辺麻友)…大田朱美
三村茜(渡辺麻友)の役どころ
三村茜は、絵を描くことは好きだったか、実は漫画映画のことはあまり知らずに見習いとして東洋映画に就職。
次第にその面白さにひかれていった茜は、主人公・なつと社内試験を受けます。繊細な絵が評価され、なつより先にアニメーターになるのです。
奥原なつの後輩として、抜群の画力で入社してきた神地航也のモデルになったのが、宮崎駿さんと言われています。
神地航也(染谷将太)の役どころ
出典:NHKアーカイブ
高い画力で、なつの後輩アニメーターとして東洋映画に入社。
「面白い!」「それは面白くない!」と思ったことを率直に言い、アニメに対する純粋さや愛情が人一倍表に出ていました。
実際の宮崎駿さんも、絵においてはズバ抜けてうまく、アニメに対する熱量や愛情は、他の誰からみても分かるものですよね。
父親は版画家の大田耕士
大田朱美さんは、版画家・大田耕士さんの次女として生まれました。
父親・大田耕士さんの本名は、末夫。
1909年2月18日に兵庫県で生まれ。
1927年 生地・兵庫県で小学校教師となる
1930年 反戦平和教育を推奨する「新興教育運動」に参加。
1937年 上京
1938年~※諷刺誌「カリカレ」を発行、1941年に検挙されています。1年3か月ものあいだ獄中生活を
送っていたそうです。
クロ
その後は、子供たち自身が考えや思いを巡らせて作品を仕上げていく、版画の教育効果を広めようと道具や材料を持って全国各地を回ります。
出典:山田書店
1951年 日本教育版画協会を創立
機関紙「はんが」で、紙版画のやり方を発表。全国に普及させました。
「版画教育の父」と呼ばれ、海外17か国で版画展を開くなど、89歳で生涯を終えるまで教育版画の繁栄に尽くした人物です。
宮崎駿はスタッフに恋をしているなどまさかの不倫勃発?
出典:映画.com
宮崎駿さんは、嫁・大田朱美さんがいるにも関わらず、スタジオジブリのスタッフや出入りする記者の中に、常にお気に入りの女性が一人いるといいます。
ジブリのドキュメンタリー映画
メリー
夢と狂気の王国
このときは、三吉さんという女性スタッフがお気に入りだったことがわかります。
三吉さん、通称サンキチさん。童顔で可愛らしく、宮崎駿さん好み。
宮崎駿さんは、サンキチさんを想う気持ちをグッと抑え、態度に出さないようにしているそうなんです。
だから、この恋心は他の人にバレていない!と思っているんだとか…
しかし、サンキチさんを想う気持ちは全面にあふれ出し、サンキチさんとはしゃぐ宮崎駿さん。
隠し通せていると思い込んでいるのは宮崎駿さん本人だけのようです。
他のみんなには、宮崎駿さんの恋心がバレバレですね
クロ
家では嫁・大田朱美さんが待っているにも関わらず、スタジオジブリ(外)では他の女性に恋をする。そんな宮崎駿さんの生き方を作品にしたのが「紅の豚」だといいます。
「紅の豚」は宮崎駿さん自身の私小説。そう語るのは岡田斗司夫さん。
私小説としての「紅の豚」の解析になるんですけども。
この「妻を家に待たせて、外で恋愛するのは浮気じゃないからOK」というのは、スタジオジブリでの宮崎駿の生き方そのものなんですね。
不倫じゃないんです。
恋愛なんですよ。
これは、ジブリスタッフはみんな知ってるし、鈴木敏夫もラジオや講演や対談の中で何度も話しています。
と話しています。
「外で恋愛をするのは浮気じゃないからOK」なんだか名言のような言葉ですね。
宮崎駿さんのこの感性が、魅力のある作品を作り出しているのかもしれません。
馴れ初めは職場結婚
宮崎駿さんは漫画少年だった高校時代に、東映動画が製作した『白蛇伝』を観て胸を打たれ、アニメーションに興味を持つようになります。
この『白蛇伝』は、大田朱美さんが参加した作品でもあります。
宮崎駿さんは、大学卒業した後(1963年)東映動画へ入社。つまり、東映動画では大田朱美さんが先輩、宮崎駿さんは後輩です。
二人は、東映動画で同じアニメーターとして働いており、宮崎駿さんが入社した2年後の1965年に結婚しています。
クロ
宮崎駿は毎日愛妻弁当を持参するが父親とてしては失格だった
出典:マイナビニュース
宮崎駿さんと大田朱美さんには2人の子供がいます。
1967年1月26日に長男・宮崎吾朗さんを出産。
出典:映画.com
宮崎吾朗さんは大学を卒業後、株式会社森緑地設計事務所に入社し、建設コンサルタントとして、公園緑地や都市緑化などの計画・設計に携わっていました。
そんな中、スタジオジブリの鈴木敏夫さんからの誘いを受け、株式会社森緑地設計事務所を退社し、1998年スタジオジブリに入社。
当初は、ジブリ美術館の設計をするためにジブリに入社したのですが、美術館が開館し、運営も落ち着いたころから、少しづつアニメーション映画の仕事に移行していきます。
そして、ゲド戦記やコクリコ坂などを手掛けた人物こそ宮崎吾朗さんなのです。
1970年4月に生まれた二男の宮崎敬介さんは、版画家・柄澤齊さんの作品に心打たれたことをきっかけに版画家になります。
『耳をすませば』の牢獄でバイオリンを造る少年を描いた人物が、宮崎敬介さんです。
大田朱美さんの父親、敬介さんにとっては祖父の大田耕士さんも版画家ですから、少なからず大田耕士さんの影響もあるのかもしれませんね。
二人の息子は、今やそれぞれの道で大変なご活躍をされています。
しかし、子供のころの二人にとって父・宮崎駿さんは父親失格だったようです。
母・大田朱美さんが二人の息子に、子供のころから繰り返し言っていた言葉は「あんな父親にはなるな!」なんだそう…。
宮崎駿さんは、息子を喜ばたい一心で『パンダコパンダ』というアニメを作っています。
きっと、息子はこの作品を見て喜んでくれる!と思ったに違いありません。
子供たちに夢を与えるアニメを作り、アニメを通じてメッセージを送ることこそ、宮崎駿という人物にとっての愛情表現の仕方だったとも考えられます。
ただ、この『パンダコパンダ』を作っている間、宮崎駿さんは徹夜続きでほとんど家に帰っていなかったようです。
父親として、息子を楽しませようと作った作品ではあったものの、制作中はほとんど家に帰ることがなかった父・宮崎駿さん。
結果、息子には寂しい思いをさせてしまったようです。
そんな父親失格の宮崎駿さんと、息子に『こんな父親にはなるな』と繰り返し言い聞かせていた大田朱美さんとの夫婦仲は良いのでしょうか?
実は、宮崎駿さんはスタジオジブリに、大田朱美さんが作る愛妻弁当を毎日持参していたといいます。
何度目の引退宣言かは定かではありませんが、2013年9月6日に開かれた宮崎駿さんの引退会見。
記者から、嫁・大田朱美さんのことを聞かれたときに『(家内には)お弁当は、今後も宜しくお願いします。…誠に申し訳ございませんが…』と答えています。
大田朱美さんからは『常日頃から、この歳になってまだ毎日お弁当を作っている人はいない』といわれたようですが…。
そう言いながらも、長年にわたって夫・宮崎駿さんのために毎日お弁当を作り続けてた嫁・大田朱美さん。
そして、この先もお弁当を作ってほしいと嫁・大田朱美さんにお願いする夫・宮崎駿さん。
お二人の仲の良さが伝わってきますね。
まとめ
今回の記事をまとめてみます。
- 大田朱美さんは宮崎駿さんの嫁。宮崎駿さんよりも絵がうまく将来を期待されていた人物。
- 現在の大田朱美さんは公益財団法人トトロのふるさと基金の理事をしている。ナショナルトラスト活動を中心に、緑豊かな里山や文化財を保存活用するために活動!
- 大田朱美さんの父親は、版画家・大田耕士。
- 宮崎駿さんと嫁・大田朱美さんの馴れ初めは職場・東映動画。
- 宮崎駿さんが不倫?!宮崎駿さんは、嫁・大田朱美さん以外に恋心を抱いている女性が常にいる!
- 宮崎駿さんは父親失格!大田朱美さんが2人の息子、吾朗さんと敬介さんに繰り返し言った『あんな父親になるな!』
- 宮崎駿さんは長年にわたり、嫁・大田朱美さんの作る愛妻弁当を毎日持参!「お弁当は、今後も宜しくお願いします。」
宮崎駿さんは、アニメーション界では誰もが知る天才的な人物。しかし、アニメ以外のことは不器用だったのかもしれませんね。
そんな宮崎駿さんを、裏で懸命に支えてこられた嫁(妻)の大田朱美さん。きっと、嫁(妻)朱美さんの支えがあるからこその宮崎駿なのではないでしょうか。