格闘技のプロレス界に大きな影響を与えた元プロレスラーのアントニオ猪木さん。
「元気ですか~」の合言葉や「燃えよ闘魂」をモットーに新日本プロレスを立ち上げたりと、多くの人々を元気を与えてくれています。
プロレスラーを引退すると、政界へ進出して参議院議員として活動しました。
そんなアントニオ猪木さんは、プライベートでは4度の結婚をしています。そこで今回は、現在のお嫁さん・橋本田鶴子さんについて徹底調査!
アントニオ猪木さんの現在のお嫁さん・橋本田鶴子さんの年齢や顔画像、職業はカメラマン、過去に裁判沙汰になったこと、亡くなった原因、それから馴れ初めについて詳しく紹介していきます。
また、アントニオ猪木さんの歴代のお嫁さん、一人目・リンダさん、二人目・女優の賠償美津子さんの馴れ初めや離婚原因が不倫なこと、三人目・尚美さんについても紹介するので是非ご覧ください!
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アントニオ猪木の嫁・橋本田鶴子の情報
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2021年6月26日は猪木アリ戦から45周年!ファンとリモートで交流!|アントニオ猪木「最後の闘魂」チャンネルhttps://t.co/KH77gYwm9j pic.twitter.com/iwn36D7w9k— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) June 26, 2021
それでは早速、アントニオ猪木さんの現在のお嫁さん・橋本田鶴子さんについて詳しく紹介していきます。
橋本田鶴子のプロフィール
上記の画像が、アントニオ猪木さんさんのお嫁さん・橋本田鶴子(はしもとたづこ)さん、キレイな女性ですね。
年齢はアントニオ猪木さんの14歳年下、アントニオ猪木さんは1943年2月20日生まれの2021年現在78歳なので、橋本田鶴子さんは生きていれば64歳となります。
しかし、橋本田鶴子さんは、2019年に62歳の若さで亡くなっています。
アントニオ猪木さんがTwitterにて報告していました。
8月27日未明、妻・田鶴子が永眠致しました。
生前のご厚誼に深く感謝致します。
カメラマンとして私の写真を撮りながら、
いつも献身的に尽くしてくれました。
今は感謝の言葉しかありません。
故人の遺志により、葬儀は家族葬で行います。
弔問、香典、供花はご辞退申し上げます。アントニオ猪木
— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) August 27, 2019
橋本田鶴子さんが亡くなってすぐに、アントニオ猪木さんも「心アミロイドーシス」という異常なたんぱく質が心臓の機能に障害が出る病気を患ってしまいます。
大切な奥さんである橋本田鶴子さんがいなくなって、自身も病気になり大変だったことでしょうね。
元気ですかー!!
今回は実は腸が剥がれちゃったみたいで、また再入院してます。
一生懸命リハビリに努めて、元気な姿で1日も早く皆さんにまた元気ですかー!を送りたいと思います。 pic.twitter.com/00idFMcTEu— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) June 12, 2021
2021年6月12日に自身のツイートで再入院を報告していましたが、元気に快復されることを願っています。
うさたん
職業はカメラマン
出典:twitter.com/
橋本田鶴子さんの職業は、カメラマン。大学で写真を学んだ後、民放のテレビ局の関連会社でカメラマンとして働いていたようです。
2001年、アントニオ猪木さんは写真集「人生のHomeLess アントニオ猪木写真集」を出版。
当時担当したのが橋本田鶴子さんで、このことがきっかけで専属カメラマンになったようです。
そんな橋本田鶴子さんのようにカメラマンに向いている人の特徴から人物像に迫っていきます。
①カメラや写真が好きな人
一人前のカメラマンになる道のりは容易なことではありません。
下積み期間は先輩から怒られたり、雑用ばかりすることもあり忍耐力が求められるでしょう。
そんな辛い下積み期間を乗り越えるには、カメラや写真が好きでないと務まりませんね。
②明るく笑顔でいられる人
撮影現場では、モデル始め編集者やスタッフなど沢山の人と協力しながら仕事が進みます。
元気がなく暗いカメラマンでは、周囲は暗い気持ちになってしまうので、いつも明るく元気でいることで現場が楽しく仕事ができることが大切でしょう。
③集中力と根気強さがある人
カメラマンが撮影に臨む時には「こういうシーンを撮影したい」などの目的があるので、しっかりと集中して、これぞという決定的なシーンを取り逃がさないことが欠かせません。
また撮影には時間がかかる場合が多いので、根気強い気持ちも重要になります。
以上のカメラマンに向いている人の特徴から、橋本田鶴子さんはカメラ好きで集中力と根気強さがある明るく元気な女性と言えますね。
カメラマンと言えば、男性が多く活躍してきた職業でしたが、プロフェッショナルで働くには性別は関係ありません。
女性カメラマンの強みは、美容分野など女性の感性が必要になる場で活躍できるチャンスが多くあること。
最近では女性向けのサービスも増えているので女性カメラマンの需要が多くなっています。
次に、気になるカメラマンの年収について紹介していきましょう。
カメラマンの収入は、勤務先や働き方で大きく異なり個人差があります。
若いうちのアシスタントなどは給料が低い傾向になりますが、有名になれば年収1000万円を超える可能性もあります。
橋本田鶴子さんもテレビ関連会社でスキルを磨き、アントニオ猪木さんの写真集を担当がきっかけで専属カメラマンになりました。
上記のように年収1000万ぐらいの収入があったかもしれないですね。
料金の交渉なども自分で出来るようになる、やりがいあり写真の楽しさがあるフリーランスは橋本田鶴子さんにとって天職だったでしょう。
やる気0男
橋本田鶴子は過去に裁判沙汰になっていた
出典:miruhon.net/
橋本田鶴子さんは過去に裁判沙汰になっていたようです。
2017年6月、アントニオ猪木さんが2007年に設立したプロレス団体「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」が橋本田鶴子さんに裁判を起こしたことを、当時参院議員だったアントニオ猪木さんが発表。
参院議員のアントニオ猪木氏(74)が設立したプロレス団体「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」が27日、東京都内で記者会見を開き、猪木氏の妻の橋本田鶴子氏を相手取って不当利得返還請求訴訟を東京地裁で起こし、同日第1回口頭弁論が行われたと明らかにした。
引用元:サンスポ
具体的にいうと、IGFが橋本田鶴子さんに「接待交際費」「旅費」「マッサージ代」など支払った4250万を会社の経費として認めないと返還を求めました。
この騒動は「IGFは整理する」と発信したアントニオ猪木さん側と主にアントニオ猪木さんの娘さんと娘婿さんが経営するIGF側というお家騒動が関連していたようです。
結婚する前から自身のブランドなどの利権を全面的に橋本田鶴子さんに委ねていたので、私欲に利用しているなど批判的な声も上がっていたんだとか。
反対に、ビジネス面で何かと利用されてしまうアントニオ猪木さんを、橋本田鶴子さん自身が悪者となり守っていたという肯定的な声があったようで、この後の結果は出ておらずわかっていません。
妖精
橋本田鶴子が亡くなった原因
出典:withnews.jp/
橋本田鶴子さんは2019年8月27日に62歳で亡くなったことを、アントニオ猪木さんは明らかにしました。
橋本田鶴子さんの死因は「すい臓がん」だったとのこと。アントニオ猪木さんが『婦人公論』のインタビューで話しています。
周囲にも漏らしていなかったし、だれも知らなかったはずです。没後に初めて診断書を見て知ったのですが、膵臓にある膵頭のがん。闘病期間は6年でした。
引用元:婦人公論
実は亡くなるまで、自身が「すい臓がん」だったことをアントニオ猪木さんに隠していたようです。
2017年にアントニオ猪木さんと結婚していますが、2013年にすい臓がんを患っており、6年間闘病していました。
どうして病気のことを明かさなかったのかはわかりませんが、アントニオ猪木さんはレスラー時代から重い糖尿病があったり腰も悪くしていた、仕事もある。だから自分のことで心配をかけたくないという思いがあったんでは?と語っていました。
そして自分がいなくなった時のため、側近の人に旅立つ準備を進め、アントニオ猪木さんのお世話まで頼んでいたようです。
最後までアントニオ猪木さんを気遣い、愛情が深かったことがわかりますね。
クロ
馴れ初め
アントニオ猪木さんと橋本田鶴子さんの気になる馴れ初めについて、紹介していきます。
出会いは先ほど紹介した通り、2001年出版された写真集「人生のHomeLess アントニオ猪木写真集」カメラマンとモデルという仕事の付き合いでした。
それから公私の堺がなくなって、いつも一緒に居るようになったそうです。
2011~2013年には、参議院議員になったアントニオ猪木さんの公設秘書を務め、北朝鮮の外交活動にも橋本田鶴子さんは同行していました。
その後もアントニオ猪木さんの肖像権・商標権・著作権管理など管理する専属マネジメント会社「コーラルゼット」の取締役副社長を務めるなど、公私にわたりアントニオ猪木さんを支える存在だったとのこと。
2014年頃からは、アントニオ猪木さんと橋本田鶴子さんは同棲状態だったとの情報もあります。
それを裏付けるかのように2011年週刊誌「女性自身」が、アントニオ猪木さんと「当時52歳のカメラマン女性」とお泊まり愛をスクープしています。
その女性こそ、橋本田鶴子さんの可能性が高いですね。
猪木は2011年、「女性自身」(光文社)に、当時52歳のカメラマン女性との“お泊まり愛”をキャッチされているが、この一件が原因で猪木夫妻は離婚になったようだ。この女性は、もともと猪木ファンの一般人だったというが、猪木が会長を務めるプロレス団体「IGF」の役員を務め、また昨年までは公設秘書の肩書も有していたという。現在、猪木とこの女性は都内のマンションで半同棲状態にあるという
引用元:サイゾーウーマン
上記の記事には、「プロレス団体IGFの役員」「公設秘書」をしているカメラマンの女性とあるので、橋本田鶴子さんであるでしょう。
またこのスクープにより、アントニオ猪木さん夫妻が離婚したとも記載されています。この当時の奥さんは、3番目の奥さん「尚美さん」となります。
この情報が正しければ、アントニオ猪木さんと橋本田鶴子さんは不倫関係にあり、2012年にアントニオ猪木さんと尚美さんは離婚しました。
そして、アントニオ猪木さんと橋本田鶴子さんは、2017年2月20日に結婚しています。
結婚に関しては、橋本田鶴子さんが「どうしても猪木家のお墓に入りたい」と願ったんだとか。
この時まさに、橋本田鶴子さんはすい臓がんの闘病中です。もしかしたら自身の死も覚悟して、アントニオ猪木さんのお墓に入りたいと申し出たのかもしれないですね。
やる気0男
歴代の嫁
出典:hochi.news/
アントニオ猪木さんは橋本田鶴子さんと4度目の結婚しましたが、それまでに結婚したお嫁さんについて、順番に詳しく紹介していきましょう。
1人目の嫁①リンダ
アントニオ猪木さんと最初に結婚した女性は、アメリカ人のリンダさん。アントニオ猪木さんがアメリカに武者修行中に知り合ったそうです。
1964年、アントニオ猪木さんが21歳でリンダさんと結婚しました。2人の間には、男の子が生まれています。
その後、男の子のお子さんが病気で亡くなってしまい、リンダさんとも離婚されてしまったようですね。
メリー
2人目の嫁②倍賞美津子
出典:2.nhk.or.jp/
アントニオ猪木さんが2人目に結婚した女性は、女優の賠償美津子さん。現在でも美しく、ドラマや映画で活躍する演技派女優ですよね。
それでは賠償美津子さんについて、詳しく紹介していきます。
倍賞美津子は女優
賠償美津子さんは1946年11月22日生まれの74歳で、6歳年上の姉・賠償千恵子さんも女優です。
上記の画像は、姉の賠償千恵子さん。美人な姉妹な女優なんてスゴイですね。
倍賞美津子さんは女優の前には歌手活動をしており、数々のシングルを発売していました。
ドラマでは「3年B組金八先生」「龍馬伝」「下町ロケット」シリーズなどに出演、名脇役で欠かせない大女優ですね。
出典:tbs.co.jp/
サルの助
馴れ初め
1976年アントニオ猪木さんと賠償美津子さんさんは、プロレスラー・豊登道春さんを介して出会いました。
しかしお互いが忙しくなり疎遠になっていましたが、1979年アントニオ猪木さんが倍賞美津子さんの実家に「ブラジルの知り合いが賠償美津子さんのサインを欲しがっているから」と言って訪れたことで交際が始まります。
当時は賠償美津子さんが仕事が楽しくなってきた時期と重なり結婚を迷っていましたが、アントニオ猪木さんの猛アタックで結婚することになったそうです。
妖精
結婚式費用は1億円
1971年アントニオ猪木さんが28歳、倍賞美津子さんが25歳に結婚しました。
上記の画像は2人の結婚式の時、2人共若くとても幸せそうですね。特に賠償美津子さんが可憐でキレイ!アントニオ猪木さんが惚れ込んでしまうのも納得です。
そんな2人の結婚式の総額は1億円とも言われて、世間の話題になりました。
サルの助
結婚後、結婚費用を全額負担していた「日本プロレス」が、アントニオ猪木さんが内部改革をしようとしていたことがバレて、追放の事態に。更に結婚費用が借金になってしまったんです。
仕方なく2人は新居となる自宅を改造して、「新日本プロレス」を立ち上げました。
離婚理由は不倫
出典:youtube.com/
アントニオ猪木さんと倍賞美津子さんは結婚して、1974年女の子のお子さんが生まれます。
それから1980年頃アントニオ猪木さんがサトウキビの搾りかすを使ったバイオテクノロジーのベンチャービジネス「アントン・ハイセル」に手を出すも大失敗して、数十億もの負債を抱えることに。
多額の借金を抱えて、夫婦喧嘩が絶えなかったそうです。
そんな中、1985年賠償美津子さんは俳優・萩原健一さんとの不倫をスクープされてしまいました。
2人は映画「恋文」の共演で、交際に発展したようです。
このスクープが元になり、1988年アントニオ猪木さんと倍賞美津子さんは離婚しました。
そんな2人は離婚後も、お互いを「戦友」「魂の友人」と表現して交流があったようです。
それを物語るように、2002年新日本プロレス創立30周年記念に倍賞美津子さんがサプライズ登場していました。
メリー
3人目の嫁③尚美
出典:twitter.com/
アントニオ猪木さんが3回目の結婚をしたのは、倍賞美津子さんと離婚した翌年1989年です。
アントニオ猪木さんが46歳、お相手は22歳年下の尚美さんで当時24歳だった一般女性です。
尚美さんは一般女性のため、馴れ初めなど詳しく情報は明らかになっていないようですね。
1990年にはお子さんも生まれて、2012年11月に離婚に至るまで23年の結婚生活をされていました。
離婚理由はというと、アントニオ猪木さんの女性問題です。
4度目の結婚相手・橋本田鶴子さんは1990年からの仲だったようですし、上記で紹介しました通り2011年にスクープされた「カメラマン女性とお泊まり愛」がきっかけで離婚に至ったようですね。
妖精
アントニオ猪木のように離婚の多い男性はこんな人
夫婦の離婚には様々な理由がありますが、4度の結婚歴があるアントニオ猪木さんのように男性に問題がある場合に焦点を当てて検証していきます。
ますは一般的に離婚しやすい男性の特徴4つ紹介していきます。
①浮気性の男性
一言で浮気性の男性を判断することは難しいところ。一生に一度の場合もあれば、何度も浮気を繰り返す男性もいるからです。
なので日頃の素行を見極めることが重要でしょう。
4度の結婚をしているアントニオ猪木さんは、このタイプに当てはまるのかもしれないですね。
②ギャンブル好き
経済観念に問題がある男性に「ギャンブル好き」が挙げられます。ただ単に好きならいいのですが、借金してまでもギャンブルがやめられないようなギャンブル狂いは問題です。
借金がないか?お金遣いが荒くないか?よく注意しましょう。
③DVなどハラスメント問題
DVなど問題がある場合は「自己中心的な男性」「忍耐力がない男性」が多いです。
相手のことを想いやれることが苦手で、思い通りにならないと強行手段に出ます。
結婚前に「子供っぽくてかわいい」などと思っている女性は注意が必要でしょう。
④仕事が多忙で家に帰らない
仕事が多忙で家に帰ってくる時間がないという男性には、注意が必要です。
なぜかというと、夫婦で過ごす時間がなく話し合いがなされず、すれ違ってしまい不仲になってしまうから。
良い夫婦関係には、旦那が仕事とプライベートのバランスを保っていることが大切でしょう。
アントニオ猪木さんの場合も、仕事が多忙で夫婦がすれ違ったことも要因の一つでしょうね。
この他にも「家事をしない」「マザコンの男性など性格の不一致」も上げられます。やはり相手を気遣う思いやりが欠けることが原因です。
以上により、仕事と家庭のバランスを調整できず、相手の立場になって思いやれない男性が夫婦関係が上手くいかない要因ですね。
メリー
まとめ
それでは記事をまとめていきます。
- 橋本田鶴子さんの職業はカメラマン。アントニオ猪木の写真集を担当したことで専属カメラマンになる。年収は約1000万だと予想される。
- 橋本田鶴子さんは2013年からすい臓がんを患っており、6年間闘病後2019年に亡くなった。
- アントニオ猪木は橋本田鶴子さんは写真集を出版することで出会う
- アントニオ猪木の1人目の奥さんはアメリカ人のリンダさんで、アメリカの武者修行中に出会い結婚した。その後男の子が生まれたが病気で亡くなり、リンダさんと離婚した
- アントニオ猪木の2人目の奥さんは女優・倍賞美津子である。2人は知人を介して出会い1971年1億円の豪華な結婚式を挙げた。その後アントニオ猪木が事業に失敗して数十億の借金を抱えたり、倍賞美津子が萩原健一と不倫関係になり離婚した
- アントニオ猪木の3人目の奥さんは一般女性の尚美さんである。馴れ初めの情報はないが、子供に恵まれ23年の結婚生活を送った。アントニオ猪木のカメラマン女性との不倫がきっかけで離婚した
アントニオ猪木さんの4度目の奥さん・橋本田鶴子さんと歴代の奥さんについてご紹介しました。
橋本田鶴子さんは亡くなりましたが、ご本人の希望の結婚して夫婦で一緒のお墓に入れることが出来て良かったですね。
現在病気と闘うアントニオ猪木さんが快復することを願っています。