野茂英雄さんは元日本プロ野球「近鉄バファローズ」の投手からメジャーリーグを目指して、メジャーリーグで日本人が活躍した先駆者的存在です。
大きく振り下ろす「トルネード投球」は、野茂英雄さんの代名詞で野球界で活躍をはたしました。
そんな野茂英雄さんは現在でもマルチに活動しており、年収がスゴイとの噂です。
今回は、野茂英雄さんの活動拠点は4つなこと、現在の年収、どこに住んでいるか、現在の体重は100㎏超えなことなど紹介していきます。
また野茂英雄さんが佐野慈紀さんに貸した3000万円の裁判を起こしていたことや野茂英雄さんの栄光の戦績も紹介するので最後まで是非ご覧ください!
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野茂英雄は現在マルチ的に活動中
出典:meikyukai.jp
メジャーリーグで日本人が活躍したパイオニアの野茂英雄さんは、社会人野球で活躍してドラフトで8球団に指名されて、1990年近鉄バファローズの投手として入団しました。
独特なフォームから織りなすフォークボールで、入団当初から好成績をおさめました。
「最多勝利」「最優秀防御率」「最高勝率」「最多奪三振」を達成して「澤村賞」「MVP」「新人王」と7つのタイトルを手にしています。
翌年1991年紀久子さんと結婚して、2人の息子が生まれました。長男の貴裕さんは日ハムファイターの通訳として働いています。
1995年にメジャーリーグへ移籍、1996年ロサンゼルス・ドジャーズでノーヒットノーランを達成しました。
それから2008年まで12年間、8球団で活躍した野茂英雄さんは現役を引退。
輝かしい成績を残した野茂英雄さんは1968年8月31日生まれの現在56歳です。
現在の野茂英雄さんはマルチに活動しているようです。4つの活動をしているので、詳しく紹介していきます。
野球解説者
野球界で好成績をおさめた野茂英雄さんは、すぐに野球解説者で活動していたと思っていましたが、2010年から始めたようです。
「中日ドラゴンズVS千葉ロッテマリーンズ」のテレビ放送が初司会だったとか。
この時には1988年ソウルオリンピックでバッテリーを組んだ古田敦也さんと共演していました。
2022年のオリックスVS阪神戦で解説を担当した野茂英雄さんは、アナウンサーに「それぞれの監督に指揮にカラーは出ていますか?」と聞かれ、「全然わかんないですね。そこまで見れてない。すみません」と素直な意見を答えていました。
正直すぎる気もしますが、素直に感じたままを話す野茂英雄さんは好感が持てますね。
飾らない野茂英雄の解説は好評
飾らない野茂英雄さんの解説は好評で、ツイッターでも野茂英雄さんの解説は肯定的な声が多かったです。
BSフジの野球解説は野茂英雄
— maco (@mako___629) June 15, 2023
野茂英雄は日本の元プロ野球選手で、MLBでも活躍した投手。現在は野球解説者としても活躍している。今回のトレンドは何かな?
— ノビィ@看板娘 (@noby_ai) June 11, 2023
家帰ってきたら、母がオリックスvsタイガース戦見てたから一緒になって見だしたら、野茂さん解説してるやん
うぁ~なんか久しぶりすぎてびっくり
このボソボソ感、いい感じ#野茂英雄#野球解説— まぁ (@mabo_mabo_s) June 10, 2022
野茂の解説、打者の話をする時は全て「このバッターは…」きっと選手の名前なんて知らんのやろなぁ
野茂らしい#野茂英雄 #古田敦也 #関西ダービー #阪神タイガース #オリックス・バファローズ #野球解説— エンドルフィンマシン3号 (@J3rRgZWAvnqBcuv) June 10, 2022
野茂英雄さんの野球での評価が高いことも関係がありそうですね。
社会人野球チーム「NOMOベースボールクラブ」代表理事
2003年野茂英雄さんは、社会人野球チーム「NOMOベースボールクラブ」を設立して、代表理事を務めています。
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当初は大阪府堺市にありましたが、現在は広島県豊岡市で活動しています。
野茂英雄さんは、自分と同じように学生時代にチャンスに恵まれなかった若者に、プロ野球選手として活躍する場を作りたい。野球で地域を活気づけて欲しいとの思いから設立したそうです。
クロ
野茂英雄さんは野球チームの練習に駆けつけることもあるとか。
野茂英雄さんに会えたら、選手のモチベーションも上がりますね。
「サンディエゴ・バドレス」アドバイザー
野茂英雄さんは2016年からメジャーリーグ「サンディエゴ・バドレス」のアドバイザーに就任しています。
野茂英雄さんは「バドレスに加われたこと、大リーグに戻れたことは嬉しい。若手選手に何か伝えられればいいし、自分にとっても勉強になる」と意欲を語っていました。
2021年ダルビッシュ有さんもサンディエゴ・バドレスに所属しており、野茂英雄さんのアドバイスを受けているそうです。
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2022年サンディエゴ・バドレスは地区優勝しました。ダルビッシュ有さんにとって、野茂英雄さんは力強い存在でしょうね。
カフェ経営
野茂英雄さんは2016年京都にカフェ「PORTLAND ROASTING coffee KYOTO」をオープンしました。
実は野茂英雄さんは大のコーヒー好きで、お店では「NOMOブレンド」のオリジナルコーヒーを販売。
しかし残念ながら、2022年9月30日で閉店しました。コ〇ナ過の影響が大きかったのかもしれません。
現在は実店舗はありませんが、オフィシャルサイトでコーヒー豆を購入できるとのこと。
是非NOMOブレンドのコーヒー飲んでみたいと思います。
野茂英雄の現在の年収は5900~6000万円の可能性
主に4つの活動をしている野茂英雄さんの年収は、どれくらいでしょうか?
それぞれの活動の年収を検証して、合計の年収を探っていきたいと思います。
野茂英雄さんが年収2000万円とも言われていますが、メジャーリーグで支払いされる生涯年金が関係しています。
メジャーリーグに10シーズン以上の在籍で、62歳から毎年約2200~2300万円が支給されます。
45歳からも受け取る(年間もらえる金額は減る)ことが可能で、選手が亡くなっても配偶者は受け取れるという破格の好条件です。
それだけ野茂英雄さんは偉業を成し遂げたことになりますね。
野茂英雄さんが生涯年金をすでに受け取っているかは不明ですが、今後62歳になたら、約2000万円もの巨額を手にできるなんてスゴイです!
野茂英雄さんの生涯年俸は約49億円と言われており、税金を払っても約25億円の資産があると推測されます。
加えて、生涯年金の約2000万円が支給されてたら、生活も困らないし仕事をしなくても問題はないでしょうね。
野球解説者の年収
野球解説のギャラは1試合5~10万円が相場です。
メジャーリーグで偉業を残した野茂英雄さんは、最高の10万円もらっているかもしれません。
6ケ月で60試合と考えると、最低の5万円は年収300万円になります。
この計算で考えると、野茂英雄さんは2倍の年収約600万円になりますね。
社会人野球チーム「NOMOベースボールクラブ」代表理事の年収
出典:mind-gas.com
野茂英雄さんが後輩選手の活躍するために設立した社会人野球チームは、「特定非営利活動法人」。
選手は働きながら、野球チームに所属してる人がほとんどのようです。
野茂英雄さんの野球を愛する気持ちから設立されたとすると、収入はないと予想できます。
「サンディエゴ・バドレス」アドバイザーの年収
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野茂英雄さんは2010年からサンディエゴ・バドレスのアドバイザーに就任しました。
アドバイザーの年収は公表されていませんが、元メジャーリーガーで野茂英雄さんのように活躍した松井秀喜さんがヤンキースでGM付特別アドバイザーの年収が約5000万円だと言われれいます。
なので同じように野茂英雄さんのアドバイザーの年収も約5000万円くらいだと推測できますね。
野茂英雄さんの主な仕事はアドバイザーになるんではないでしょうか。
カフェ経営の年収
現在はカフェ経営ではなく、コーヒー豆のネット通販に変わっています。
カフェ経営者の平均的な年収は約200~500万円と言われています。
野茂英雄さんの場合は有名人で知名度が高いですから、約500万円くらいあるかもしれません。
それからネット通販に変わってもリピーターが固定していれば、売り上げはそんなに変わらないかもしれません。
約300~400万円の年収と予想します。
- 野球解説の年収 約600万円
- 社会人野球チーム「NOMOベースボールクラブ」年収 ナシ
- サンディエゴ・バドレスのアドバイザー年収 約5000万円
- カフェ経営の年収 約300~400万円
合計すると、年収約5900~6000万円となります。
62歳になったら、加えて年収2000万円の生涯年金が支給されるので、約7900~8000万円になるでしょう。
破格すぎて想像もできませんね。
野茂英雄は佐野慈紀に貸した3000万円を巡り裁判を起こしていた
佐野慈紀さんは元プロ野球「近鉄バファローズ」のピッチャーで元チームメイト。
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そんな親しい間柄で金銭トラブルとは、どうしたのでしょうか?
佐野慈紀さんが野茂英雄さんから3000万円の借金をしたのは、2003年頃。
佐野慈紀さんの引退前で、年俸が減少したことや母親の体調を崩したことが重なり、家のローンを払えず住んでいた家を手放す状態に。そんな佐野慈紀さんを見かねて「援助するよ」と友人の野茂英雄さんは声を掛けました。
契約書をかわす為、利子は最低ギリギリの0.3%。野茂英雄さんの優しさが感じられます。
2018年週刊誌「週刊文春」によると、10年の返済期限に434万5000円しか返済しておらず、残金の返済を求めて野茂英雄さんが訴訟しました。
同年には東京地裁が野茂英雄さんの訴えを全面的に認めて判決を言い渡しました。
一部報道によると佐野慈紀さんは自身が体調を崩したり、都内のタワーマンションに一家で住んでいたり、借金していながら第三者にお金を援助していたりと支離滅裂なことをしていたようです。
また借金の返済額は月2万円、期間を計算すると107年かかることも判明。いくら、チームメイトの友人でも、佐野慈紀さんのような態度をとられたら、裁判を起こしたくなります。
優しい野茂英雄さんも佐野慈紀さんの姿勢に堪忍袋の緒が切れたのかもしれませんね。
カルフォルニアのサンディエゴと日本の関西圏に自宅あり?
老後の金銭は安泰な野茂英雄さんは、現在どこに住んでいるんでしょうか?
野茂英雄さんはどこに住んでいるのか公表はしていませんが、アメリカに住んでいる可能性が高いです。
主な仕事のメインは、サンディエゴ・バドレスのアドバイザーだからです。
サンディエゴはアメリカのカリフォルニア州にあり、サンディエゴ・バドレスの拠点はサンディエゴの「ぺトコ・パーク」近辺。
また野茂英雄さんは、日本で野球解説をしたりコーヒー豆のネット販売も行っているため、日本にも自宅があるかもしれません。
プロ野球選手時代は、大阪の堺市東区北野田の高級マンションに住んだようです。
それからメジャーリーガー時代は、兵庫県神戸市東灘区岡本の超高級マンションに住んでいたとも言われています。
同じ元メジャーリーガーのイチローさんも住んでいたとの噂の高級マンションは、「オーキッドコート」ではないかと囁かれています。
メリー
野茂英雄さんは大阪府出身で、住んでいた場所も大阪や兵庫の高級マンションと言われているので、日本で住んでいるのは関西圏の可能性が高いでしょう。
もしかしたら引っ越しして別の自宅があるかもしれませんが、野茂英雄さんはアメリカと日本の関西圏に自宅があると言えそうですね。
現在の体重は100キロ越えとの声が
金銭的に余裕があり仕事もこなす野茂英雄さんは、現役時代から太って現在は100㎏を超えているんではないかと言われています。
現在の野茂英雄さんの公式プロフィールは、身長188㎝、体重99.8㎏。100㎏には達してないようです。
色々調べてみると、ヤフー知恵知恵袋にはこんなコメントを発見!
野茂英雄さんは2008年から太り始めて、メジャーリーガー時代は、身長188㎝、体重104㎏だったようです。
現役を引退して痩せるということはないですし、野茂英雄さんの体を見ると100㎏以上あるように見えます。
コメントには115~120㎏あるんではないかと予想されていました。
では野茂英雄さんの現役時代の画像と現在での画像を比較してみます。
クロ
体重が増えてもトルネード投法ができるのは、さすがです!
楽天監督の石井一久さん100㎏と比べてみた
元プロ野球「ヤクルトスワローズ」の投手で、ロサンゼルス・ドジャーズなどメジャーリーグで活躍した石井一久さんは、現在楽天の監督を務めています。
同じメジャーリーガーとして活躍した石井一久さんの体重は、100㎏。99,8㎏の野茂英雄さんと比較してみましょう。
出典:hochi.news/
お腹の部分を見ると、石井一久さんより野茂英雄さんの方がお肉があるように見えます。
野茂英雄さんは、少なくとも100㎏はあるんではないでしょうか。
元々太りやすい体質の野茂英雄さんは、アメリカに住んでいて食生活が欧米化して体重が増えたのかもしれません。
野茂英雄が今でも検索されるのは、やはりスゴいから
メジャーリーグの先駆者と呼ばれる野茂英雄さんの実力は高く評価されています。そんな野茂英雄さんの戦歴を紹介していきます。
1989年社会人野球「新日鉄堺」に所属していた野茂英雄さんは、史上最多8球団から1位指名を受けます。
それから近鉄バファローズに入団した1年目のルーキーから野茂英雄さんの躍進は始まります。
野茂英雄はプロ野球1年目から凄かった!
1990年野茂英雄さんは18勝8敗の成績をおさめ、「最多勝」「最優秀防御率」「最多奪三振」「最高勝率」「新人王」「ベストナイン」「MVP」「沢村賞」の8つの賞を獲得しました。
「新人王」「MVP」「沢村賞」を同時に受賞したのは野茂英雄さんだけで、日本プロ野球史上初です。この時の「三振奪取率」10.99。2019年の千賀滉大さんに破られるまで、パ・リーグの記録でした。
プロ野球の1年目で実力を発揮できるのもスゴイですし、賞を総なめするくらい実力が備わっているのも信じられないですよね。
その後4年連続「最多勝」「最多奪三振」を受賞、この記録も野茂英雄さんだけでプロ野球史上になります。
しかし野茂英雄さんの右肩痛と野茂英雄さんのトルネード投法に否定的な近鉄の監督との不和で、「最多勝」「最多奪三振」の記録はなくなります。
1994年オフ契約交渉で球団と対立、日本での球団に移籍できない状態に追い込まれました。
そこで野茂英雄さんは今まで誰も挑戦してこなかったメジャーリーグの挑戦を決めたのです。
野茂英雄さんのメジャーリーグでの年俸は最低保証の10万ドル(当時は980万円)。近鉄時代の年俸は1億4000万円からの捨て身の挑戦ですよね。
メジャーリーグで快進撃
メジャーリーグのマイナー契約から開幕メジャーを勝ち取り、ドジャーズ1年目で13勝6敗、防御率2.54、奪三振236の好成績をおさめました。
そして「新人王」「オールスターの先発」という快挙を手にします。メジャーリーグで活躍する野茂英雄さんに日本の野球ファンは熱狂的に応援しました。
野茂英雄さんはユニークなフォームから157キロのストレートやフォークボールで三振を叩き出して、全米の野球ファンも虜にしていきます。
世界的に有名で人気のメジャーリーガーの一員になります。
ノーヒットノーランを2度達成した
野茂英雄さんは、1996年アジア人初のノーヒットノーランを達成しました。
それからケガや成績不振により、様々な球団に所属していきます。
2001年ボストン・レッドソックスに所属していた野茂英雄さんは、2度目のノーヒットノーランを達成しました。
この達成は、野茂英雄さんの他には3人しかいません。
野茂英雄さんは5年のプロ野球時代より、12シーズンという長い期間をメジャーリーグでプレーしました。
2008年で現役を引退しました。
野茂英雄さんは通算123勝109敗、1918奪三振、防御率4.24という好成績をおさめました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
今回は野茂英雄さんの現在の活動や年収、自宅などについて紹介しました。
現在でも野茂英雄さんの輝かしい栄光は、世間の心に残っていて後世にも引き継がれていって欲しいと思います。
野茂英雄さんの今後の活動にも注目していきたいです!
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