お笑いタレントとして活躍している明石家さんまさん。
数々のバラエティ番組で、人々に笑いを届けている明石家さんまさんですが、過去に弟を火事で亡くしていたようです。
その火事は、事故ではなく、家業を継ぎたくなかったゆえの弟による焼身自〇だったといわれています。
複雑な家庭環境の中で、心のよりどころだった弟を亡くした、明石家さんまさんの深い悲しみをいやしたのは、オール巨人さんだったようですね。
明石家さんまさんの笑いの中に秘められた、悲しい過去に注目していきましょう。
Contents
さんまの弟が火事で亡くなる
明石家さんまさんの父親が再婚したことで、明石家さんまさんには血のつながらない弟ができました。
1983年、19歳という若さで亡くなった弟に注目しましょう。
弟がなくなった原因は実家の火事
明石家さんまさんの実家が全焼する火事が発生し、その火事に巻き込まれたことが、弟がなくなった原因のようです。
火事の詳細に関して、1983年4月3日にデイリースポーツにて発表されたものを紹介します。
2日午前5時45分ごろ、奈良市三条大路、食品加工業・杉本恒さん(54)経営の工場付近から出火、木造モルタル2階建ての同工場兼住居約430平方メートルを全焼。焼け跡から仕事を手伝っている三男・Mさん(19)が焼死体で見つかった。
出典:daily.co.jp
この食品加工業を営んでいるのが、明石家さんまさんの実家でした。
ちなみに、実家の食品加工業で扱っている商品がさんまであったことが、明石家さんまさんの芸名の由来といわれています。
2階建ての建物の1階が工場で、2回が自宅として使われていたようです。
明石家さんまさんの実家の周辺には、小さな工場や住宅もあったようですね。
当時から活躍をしていた明石家さんまさんの実家ということもあり、火事や弟について、多くのメディアで取り上げられていました。
数々の番組で取り上げられたことも、弟を亡くした明石家さんまさんのショックを掻き立てていた可能性があるでしょう。
とてもつらいですね。
この火事によって、明石家さんまさんの実家は全焼し、弟も巻き込まれる形で亡くなったといわれていました。
当時、実家には、明石家さんまさんの父親、再婚相手である母親、祖父、弟がいたといわれており、他の家族は火事から逃げたものの、弟だけが逃げ遅れてしまい、悔やまれるでしょう。
事故ではなく焼身自〇だった
しかし、弟はただ逃げ遅れたのではなく、焼身自〇をしていたようです。
火事に巻き込まれた事故ではなく、焼身自〇によって火事が発生したということが明らかになりました。
弟が焼身自〇をしたといわれる証拠も挙げられています。
- 火事が発生してから逃げようとした痕跡がない
- 家族に火事を伝えようとしなかった
- 着ていた服に灯油がかけられていた
以上の証拠から、弟が亡くなったのは、事故ではなく自〇だったことが明らかになりました。
家族から逃げ遅れたのではなく、自らの意思で火をつけ、逃げなかったという事実が判明したようです。
明石家さんまさんは、大事にしていた弟が亡くなり、それが焼身自〇だったことを知り、さらに大きなショックを受けることとなったでしょう。
明石家さんまさんが芸能界で活躍している裏で、弟は悩み、自〇という選択をしたことは、ショックが深い出来事ですね。
悩みがあるなら相談してほしかったと、家族は悔やまれるでしょう。
実家の火事に巻き込まれたと思われた弟ですが、焼身自〇をしていました。
明石家さんまさんのショックも計り知れませんが、この事実が報じられたことで、大きな衝撃をうけたことが考えられますね。
焼身自殺をした理由は家業を継ぎたくなかったから?
明石家さんまさんの弟は、19歳という若さで、火事で亡くなりました。
明石家さんまさんの弟が焼身自〇をした理由に注目しましょう。
家業を継ぎたくなかったから
明石家さんまさんの実家では、さんまを扱う食品加工業を営んでいました。
この工場の名前は「杉音食品」というようで、明石家さんまさんの祖父である杉本音一さんの名前からとられているのでしょう。
祖父の代から、明石家さんまさんの両親に代替わりをしてからは、両親が家業を営んでいました。
そして、ゆくゆくは弟が家業を継ぐこととなっていたようです。
次男である明石家さんまさんは、芸能界で活躍していたこともあり、家業を継がない理由もわかりますが、長男である明石家さんまさんの兄も家業を継がなかったのですね。
明石家さんまさんの両親は再婚しており、母親は実の息子しか愛情を与えなかったことも、兄と明石家さんまさんではなく、弟が家業を継ぐことにつながっていたことが考えられます。
一緒に働くとしたら、気まずい空間では耐えられないうえに、愛情を示せない子供に、家業を継がせようとはしないのも納得できるかもしれませんね。
しかし、家業を継ぐことは、弟の重荷になっており、焼身自〇につながっていたようです。
家業のために夢を諦めた
出典:ameblo.jp
家業を継ぐことが決まっていた弟ですが、高校時代は国体に出場するほどのサッカーの腕前があり、大学に進学してサッカーを続けたいという夢もあったようです。
弟には夢があったものの、家業を継ぐということが決まった以上、大学への進学はあきらめて、家業を継ぐための修行が必要でした。
この夢を諦めたことも、弟の心を深く傷つけていた可能性があるでしょう。
夢を諦め、傷心していた弟ですが、高校卒業後は実家で家業を継ぐための手伝いを始めていました。
そんななかで、テレビに出演し、たくさんの人を笑わせるという夢をかなえている明石家さんまさんの姿をみることは、弟の傷を深くしたかもしれません。
自分は家業を継ぐために夢を諦めたのに、兄は芸能界で夢をかなえて輝いている、劣等感のような気持ちになっていたことが考えられます。
自分も夢を追いかけたい、家業を継ぎたくないという悩みを、誰にも打ち明けられなかったのでしょう。
誰にも打ち明けることはないまま、実家で焼身自〇という最期を迎えてしまいました。
弟の遺書は見つかっておらず、本当に家業を継ぐことが嫌で、焼身自〇をしたのかは定かではないものの、家業を継ぐのが嫌だったという理由が推測されています。
夢を諦めたのも、家業を継ぐことが原因でした。
家業を継ぎたくなかったことが、自身の命だけでなく、家業も終わらせることとなりましたね。
芸能界の引退を考える程さんまはショックを受けていた
弟が焼身自〇し、深いショックを受けた明石家さんまさんは、芸能界引退も考えていたようです。
複雑な家庭の中で、大事にしてきた弟を亡くしたショックは大きかったでしょう。
明石家さんまさんの弟ということもあり、毎日のようにニュースや新聞の話題となり、さらに明石家さんまさんのショックを大きくしていました。
遺書もなく、何の相談もないままに亡くなった弟に、どうしてこんなことになったんだと、明石家さんまさんは自分を責めていたのでしょう。
どうして相談してくれなかったのか、どうして自〇という選択をしたのか、悩んでいることを打ち明けてくれなかったのか、弟の気持ちを知ることができない明石家さんまさんのショックは、計り知れません。
家族で一番仲が良かったため、悩みがあったら一番に自分に相談するはずだと、明石家さんまさんは語っていたようです。
これが余計に明石家さんまさんのショックを大きくし、立ち直れない状況になっていたのでしょう。
家業のために夢を諦めた自分と、芸能界で活躍する明石家さんまさんとの比較、劣等感が、明石家さんまさんに相談することを、とめていたのかもしれません。
なんの相談もないままに弟が焼身自〇をしたことで、計り知れないショックを受けた明石家さんまさんは、うまく笑いを得ることができず、芸能界引退も考えていたようですね。
そんなさんまを救ったのはオール巨人だった
しかし、そんな明石家さんまさんを救ったのは、オール巨人さんだったようです。
明石家さんまさんとオール巨人さんは仲が良い同期のお笑い芸人仲間でした。
明石家さんまさんとオール巨人さんが舞台に上がった際、オール巨人さんは、「お前んち弟焼いたらしいな」といったようです。
ショックを受けていた明石家さんまさんになんてことを言うのか、と驚くでしょう。
オール巨人さんに対し、明石家さんまさんは、「なんてこというんや。そや、木材の代わりに焼いたんや」と返答し、会場を笑いで包んだようです。
一見すると、失礼な発言、笑えない話だと思うでしょう。
しかし、オール巨人さんの発言は、明石家さんまさんを励ますためのものでした。
明石家さんまさんとオール巨人さんの仲が良く、お互いを信じているからこそ、失礼な発言が励ましの言葉となったのでしょう。
計り知れないショックでうまく笑いを得られずに引退を考えていた明石家さんまさんですが、会場を笑いで包んだことで、お笑い芸人としての自分を取り戻しました。
さすがは明石家さんまさんとオール巨人さん。
2人とも笑いのセンスが高く、明石家さんまさん1人では乗り越えられなかったことも、オール巨人さんの力が加わることで、どんなことでも笑いに変える力となりました。
オール巨人さんとのやりとりで、計り知れないショックを乗り越えた明石家さんまさんは、現在も芸能界での活躍を続けていますね。
弟はどんな人物だったのか
明石家さんまさんの弟について、注目しましょう。
明石家さんまさんの弟について、公表を控えているためか、Mさんと示されていますが、本名は、杉本正登さんだといわれています。
一般人であるため、顔写真については、公表されていませんでした。
顔写真を公表されないのも、明石家さんまさんへの配慮かもしれません。
弟の年齢は、明石家さんまさんの8歳年下だったことから、1963年生まれであることがうかがえます。
弟は、明石家さんまさんの父親の再婚相手の子供であり、明石家さんまさんの義弟になります。
血のつながらない兄弟でしたが、明石家さんまさんと弟はとても仲がよかったようです。
家族の中で一番仲が良いと、明石家さんまさんは自負していたようですね。
また、明石家さんまさんは父親の再婚相手である母親からの愛情を受けられなかったものの、実の息子である弟は、母親からの愛情も受けていたのでしょう。
明石家さんまさんは、弟がうらやましいと思うこともあったと考えられますが、弟のことを大切にしていました。
明石家さんまさん一家は、明石家さんまさんが幼い頃に、奈良県に引っ越しています。
そのため、弟は、奈良県で産まれました。
実家に住んでいたことから、奈良県の小学校、中学校、高校に通っていたのでしょう。
高校時代は、国体に出場するほどのサッカーの腕前があり、進学も夢見ていたようです。
しかし、家業を継ぐこととなり、進学の夢は諦めることとなりました。
高校卒業後は、家業である杉音食品という食品加工業を継ぐために、家の手伝いをしています。
夢を諦め傷心していた弟は、家業に縛られずに夢をかなえる明石家さんまさんへの劣等感を抱えていたことが考えられるでしょう。
家業を継ぎたくないという思いが募ったことで、焼身自〇をし、19歳という若さで亡くなりました。
明石家さんまさんが得られなかった、母親からの愛情を受けることができた弟ですが、家業を継ぐことで夢を諦めた劣等感から、自らの手で最期を迎えてしまいます。
兄弟でわかちあうことができたらと、悲しい気持ちになりますね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
さんまと弟とのエピソード
出典:news.biglobe.ne.jp
明石家さんまさんの弟は、父親の再婚相手の子供であり、明石家さんまさんと血のつながりはありません。
それでも、明石家さんまさんは弟ができたと喜び、とてもかわいがっていたようです。
当時小学生だった明石家さんまさんにとって、8歳年下の弟は、かわいくて仕方なかったのでしょう。
明石家さんまさんが弟を大事にするほど、弟は明石家さんまさんになついていたようですね。
弟は素直で優しい性格だったようです。
明石家さんまさんの言うことはなんでも信じるほど、弟は明石家さんまさんを尊敬しました。
そんな弟にとって、バラエティ番組でたくさんの人を笑わせる明石家さんまさんの存在は、兄として誇らしいでしょう。自慢の兄ですね。
明石家さんまさんの弟は、高校時代に国体の選手に選ばれるほどのサッカーの腕前がありました。
明石家さんまさんもサッカーが好きで、弟の腕前には一目置いていたようです。
サッカーが好きな明石家さんまさんの影響を受けて、弟もサッカーが好きになったのでしょうか。
兄弟で共通のスポーツが好きなんて、わくわくして楽しいですね。
サッカーが好きな2人は、弟が亡くなる前に、兄弟でサッカーの試合を見に行く約束をしていたようです。
次の予定が決まっていたからこそ、弟が自〇したことを受け入れることができなかったことが考えられます。
血のつながりはなくとも、小さいころから一緒の仲良し兄弟でした。
しかし、明石家さんまさんは芸能界で活躍し、弟は家業を継いでサッカーの夢を諦めることで、2人の間に小さな溝ができてしまったのかもしれません。
弟は、家業に対する悩みを、両親には打ち明けることはできなかったでしょう。
こういう時に弟が頼るのは明石家さんまさんのはずでしたが、夢をかなえて活躍する明石家さんまさんに相談することはためらわれたのかもしれません。
明石家さんまさんにさえ悩みを打ち明けることができないままに、弟は自ら最期を迎えてしまいました。
仲の良かった兄弟だった2人は、こんな形で離れ離れになるとは思ってもいなかったでしょう。
明石家さんまさんと弟には、血のつながりをこえた、数々のエピソードがありましたね。
兄・杉本正樹はどんな人なのか
明石家さんまさんには、5歳年上の兄がいます。
兄と明石家さんまさんは、同じ両親から産まれており、血のつながりがある兄弟です。
明石家さんまさんの兄の本名は、杉本正樹さんというようですね。
明石家さんまさんの兄として、テレビに出演していました。
その際に、顔を公開しており、明石家さんまさんととても似ている印象がありますね。
出典:gree.jp
明石家さんまさんのモノマネをしている、ほいけんたさんのブログにも登場していたようです。
明石家さんまさん本人ではないものの、兄弟でよく似ていることがわかるでしょう。
少しばかりふくよかな明石家さんまさんという印象がありますね。
兄は競馬が好きなようで、たまたま明石家さんまさんが出演する競馬の番組に映ってしまい、すぐに兄だとバレたようです。
それくらい兄弟の顔つきが似ていることがわかるでしょう。
明石家さんまさんも優しい印象がありますが、兄はさらに優しく癒し系の印象がありますね。
なんとなく母性がくすぐられる見た目かもしれません。
兄は、明石家さんまさんよりも5歳年上であるため、1950年生まれで、2024年で74歳になります。
そんな兄には2度の離婚歴があり、3人目の嫁として、30歳以上年下の女性と結婚したようです。
あまりの年の差に、衝撃でしょう。
明石家さんまさんに似ている兄は、兄弟そろって、女性からモテることがいえますね。
明石家さんまさんと同様、和歌山県で産まれた兄は、幼少期に奈良県に引っ越しました。
現在、明石家さんまさんの兄は、奈良県で、「カラオケさんま」の店主を務めているようです。
出典:gree.jp
カラオケさんまは、明石家さんまさんの父親が開業したカラオケバーで、兄は跡取りとしてカラオケさんまの店主を務めているのですね。
カラオケさんまという名前から、明石家さんまさんの知名度の恩恵を受けているようにも感じるでしょう。
明石家さんまさんの芸名も、父親譲りであるため、父親がカラオケバーの名前に組み込むのも許せてしまいますね。
弟が亡くなった際、食品加工業を営んでいた建物が全焼したことから、カラオケさんまという新たなスタートをきったのでしょう。
明石家さんまさんの影響力もあり、カラオケさんまも順調な経営がされていることが考えられます。
5歳年上で、明石家さんまさんによく似ている兄は、父親から受け継いだカラオケさんまを経営する傍ら、30歳以上年下の女性と再再婚していました。
兄の人生も、濃い人生であることがわかりますね。
さんまの家族構成
明石家さんまさんの家族構成に注目しましょう。
明石家さんまさんの家族は、父親、実の母親、再婚した母親、兄、義弟、元妻、義理の息子、娘がいます。
父親の本名は、杉本恒さんというようです。
明石家さんまさんの芸名の生みの親であり、食品加工業を営むも、弟の死とともに全焼、カラオケさんまを開業しました。
2005年、明石家さんまさんが50歳の時に、心肺急停止で亡くなります。
明石家さんまさんへの配慮もあり、父親の葬儀は密葬で行われたようですが、葬儀に出席した間寛平さんが、手違いで女性もののブラウスを着用していたことで、笑いに包まれたようです。
しんみりした空間も笑いに変える、なんとも明石家さんまさんらしい話ですが、父親に申し訳なさそうにしていましたね。
明石家さんまさんには、2人の母親がいます。
1958年、実の母親は、明石家さんまさんが3歳の時に、過労と心労が重なって亡くなったようです。
明石家さんまさんの記憶にも母親の存在はあったでしょう。
まだまだ甘えたい時期なのに、つらいですね。
そして、明石家さんまさんが小学生の時、父親が再婚し、新たに母親ができます。
母親には連れ子がいたため、母親と同時に、弟もできました。
明石家さんまさんは、母親に遠慮もありましたが、笑ってほしいと、面白いことをたくさん披露していたようです。
当時の人を笑わせようとネタを披露していたことが、明石家さんまさんの原点なのでしょう。
しかし、母親が実の息子しか愛せないと話していたのを聞いてしまい、明石家さんまさんは兄と涙を流していたようです。
血のつながりはなくとも家族なのに、こういわれてしまっては、つらすぎますね。
明石家さんまさんには、血のつながりがある5歳年上の兄と、血がつながらない8歳年下の弟がいました。
兄は明石家さんまさんによく似ていて、父親から受け継いだカラオケさんまを経営しています。
弟は、明石家さんまさんと血のつながりを超えて仲が良かったものの、家業を継ぐことが嫌だったのか、19歳という若さで、焼身自〇をしてしまいました。
明石家さんまさんは、弟が亡くなったショックを乗り越えて、現在も活躍をしています。
1988年、明石家さんまさんは、女優の大竹しのぶさんと結婚しました。
明石家さんまさんも結婚し、父親となりましたね。
仕事を辞めて専業主婦になってほしい明石家さんまさんと、仕事を続けたい大竹しのぶさんとの間で意見がぶつかり合い、1992年に離婚しました。
離婚後も、2人の仲は良いようです。誕生日を祝うなど、父親として子供たちとの交流も続いていますね。
明石家さんまさんが大竹しのぶさんと結婚した際、大竹しのぶさんには二千翔さんという、連れ子がいました。
二千翔さんに対し、自分と同じ思いはしてほしくないと、明石家さんまさんは精いっぱいの愛情をつたえていたようです。
実の娘よりも先に、二千翔さんに話しかけるようにするなど、とても気にかけていたのでしょう。
二千翔さんが起業したいと相談した際も、明石家さんまさんの応援があって、成功につながったようですね。
また、明石家さんまさんと大竹しのぶさんの間には、1989年、IMALUさんが産まれています。
明石家さんまさんも、実の娘ができて喜んでいました。
それでも、二千翔さんとIMALUさんへの愛情に偏りがないことを示すように、二千翔さんから声をかけることは徹底していたようです。
明石家さんまさんは、家族からボスと呼ばれ、信頼されていますね。
複雑な家庭環境にはなりますが、明石家さんまさんの家族構成はこのようになっています。
ここまで、明石家さんまさんの家族について、注目してきました。
父親の再婚相手には連れ子がいて、明石家さんまさんは、血はつながらないものの、弟をかわいがり、とても仲が良かったようです。
しかし、家業を継ぐのが嫌だったのか、弟は実家で焼身自〇をし、19歳という若さで亡くなりました。
家族で一番仲が良かったはずなのに、何の相談もなしに弟が自〇したことに、明石家さんまさんはかなりのショックを受けます。
当時、芸能界で活躍していた明石家さんまさんの弟ということもあり、連日のように話題となったことで、さらに明石家さんまさんのショックは大きくなりました。
計り知れないショックの中で、うまく笑いが得られず、芸能界引退も考えていたようです。
そんな明石家さんまさんを救ったのが、オール巨人さんでした。
オール巨人さんの言葉で笑いを得ることができた明石家さんまさんは、弟が亡くなったショックを乗り越え、現在まで活躍を続けています。
複雑な家庭環境で育ち、計り知れないショックを受けてきた明石家さんまさん。
芸能界のトップとしてたくさんの笑いを生み出してきた裏側で、こんなにもつらいことがあったことがわかりました。
つらさを知っているからこそ、たくさんの笑いを届けられるのかもしれませんね。