落合陽一の父親・落合信彦の伝説はスゴすぎて嘘くさい!教育方法の徹底さにひたすら脱帽

国際的ジャーナリストとして、ケネディ暗殺やゴルバチョフ失脚などに関する著作を出してきた落合信彦(おちあい のぶひこ)さん

若者のカリスマとして名を轟かせていましたが、最近は目立った活動をしていません。

 

現在の活動や、過去の功績やカリスマと言われる数々の伝説についても詳しく調べましたのでご覧ください。

そしてマルチな活躍をしている息子の落合陽一さんをどのように育てたのか、その独特な教育方法や家族仲も紹介します!

 




落合陽一の父親は落合信彦

出典元:Instagram

  • 名前   落合 信彦(おちあい のぶひこ)
  • 生年月日 1942年1月8日(82歳)
  • 出身   東京市浅草区(現・東京都台東区)
  • 職業   ジャーナリスト、小説家、翻訳家
  • 著書   『男たちの伝説』『アメリカよ!あめりかよ!』『狼たちへの伝言』ほか多数
  • 兄    落合秀彦  空手家(和真流宗家)
  • 息子   落合陽一  メディアアーティスト/研究者/実業家
  • 甥    デレク・オチアイ  レディ・ガガの主治医をつとめた外科医

 

アサヒビールから発売された辛口生ビール「スーパードライ」のテレビCMの初代キャラクターに起用されています。

ジャーナリストはメディアに出る機会が多い仕事なので身だしなみに気を遣う部分があるのでしょう。

個性的な服を着こなしているあたり、オシャレなおじさんにみえますね!

 

伝説がスゴすぎて逆に嘘くさい

 

ジャーナリストとして活躍する落合信彦さんは、数々の伝説を持っていますが耳を疑うようなものや聞いた瞬間吹き出してしまうようなトンデモ伝説もあります

すべて本当のことなのでしょうか。気になる伝説を紹介します!

 

 

昭和62年(1987)3月に新発売された「アサヒスーパードライ」のCMに起用された落合信彦さんは全国のお茶の間に広く知られるようになりました。

 

出典:middle-edge.jp

 

ヘリコプターで世界中を飛び回る落合信彦さんが取材を終え、油田プラントに舞い降り、眼光鋭いサングラス姿で手にした辛口のビールで喉の渇きを潤す――。

そんな映画のワンシーンのようなCMが話題となり、このビールを空前の大ヒットへと導いたそうです。

この時、バブル絶頂期ということもありギャラが1億円だったと言われています。

 

そしてこのビールのCMを意識した伝説もあります。

大晦日に千葉県のゴルフ場に各社の担当者や出版関係者が集まり、落合信彦さんと年越しをするのが恒例行事でした。

 

ある年、集合時間になっても現れない落合信彦さんを心配をしていたら、すごい轟音を立てながら、ヘリコプターが飛んできて、ゴルフ場に着陸。そして中から落合信彦さんが登場したのです!

これには元担当編集者も「普通の感覚ではない」と驚いたと語っています。

 

唯一無二の「落合ワールド」はこれだけにとどまりません。

 

  • CIAに200名、政府機関を合わせると1000人以上の知り合いがいる。
  • 情報収集のためにつかう経費は年間3000万円、国際電話代は月に200万円以上。
  • 英語は辞書を食べて覚えた。
  • 大学卒業後に、エクアドルで10万バレルの油田を掘り当てる。
  • 襲撃に備え、レストランでは常に壁を背にして座る。
  • 車に乗り込む前は、爆弾が仕掛けられていないかチェックをする。
  • ホテルのベッドの上に置いておいた8000万円を盗まれる。
  • ドナルド・トランプ氏と友人で、ニューヨーク株式市場の大暴落(ブラックマンデー)直前に売りの指示をして巨額の損失を回避させた。
  • ブルース・リーと対戦し、勝利した経験がある。本人曰く「あんまり強くなかったですね、ブルース・リーは。3分で勝負がつきました」。

 

嘘なのか本当なのかわかりませんが、現実離れしたエピソードばかりですね!

しかし、息子である落合陽一さんはこのように話しています。

 

 

幼いころから父である落合信彦さんの行動を見て育った息子の落合陽一さんが言うので、概ね事実なのかもしれません。

 

この半分だけが事実でも、十分凄いことだよ~!

クロ

 

国際ジャーナリストとしての功績

出典元:NEWS PICKS

 

驚くようなエピソードの多い落合信彦さんですが、ジャーナリストとしてのエピソードも驚きの連続です。

注目を集めたのは「週刊文春」でケネディ米大統領暗殺事件の真犯人が、前大統領(当時)であるニクソンだと『二〇三九年の真実』で発表したことです。

 

出典:ameblo.jp

 

落合信彦さんはこの真相に気づいたのは世界でも自分しかいないと主張しています。

 

さらに1980年の著作『20世紀最後の真実 いまも戦いつづけるナチスの残党』(1980年、集英社)において、南米で、南米に潜伏した「元ナチス高官」と名乗る人物へのインタビューを行なっているのです!

インタビューしたこの人物は、自分の実名を公開してもいいと話しましたが、集英社の判断で、このドイツ人の名は最終的に伏せられ、匿名に留められました。

 

信憑性に疑問が投げかけられた一方で、戦争直後に行方不明になったオディロ・グロボクニクが、実は南米で生存していて、落合のインタビューを受けたのではないか?と推測する声もありました。

これがもし本当に本人だとしたら、かなり衝撃的なインタビューではないでしょうか。

 

そして、落合信彦さんのインタビュー伝説はこれだけにとどまりません。

イギリス史上初の女性首相・マーガレット・サッチャー元英首相。20世紀以降の英首相で最長の在任期間、英国病の克服、フォークランド紛争の勝利など挙げていけばきりがないほどの功績を持つ方です。

 

出典:www.news-postseven.com

 

落合信彦さんは、サッチャー氏が首相退任した直後の1991年に本人へ直接取材しています!

その時のサッチャー氏の印象について、数多くのVIPを取材してきたが、サッチャー氏のオーラは国際政治の第一線で戦い続けた人間だけが持つ別格なものだったと話しています。

 

普通の政治家であればそうした長時間の取材では集中力を切らせたり、答えをはぐらかしたい時に目を泳がせたりするものだが、卓越した集中力と確固たる信念を持つリーダーであるサッチャー氏はそういった態度は見せませんでした。

厳しい問いに答えながら、聞き手への心配りも忘れない懐の深さを改めて実感し、サッチャー氏に心から尊敬の念を抱いたそうです。

 

さらに、アメリカを「第2の故郷」だといい、アメリカに関する数々の書籍を出してきた落合信彦さんは、アメリカ合衆国元大統領ドナルド・トランプ氏にも取材をしています。

 

出典:forbesjapan.com

 

私にとってアメリカは夢と希望と本当の自由がある国だった。人々は明るく、親切で寛容、犯罪もずっと少なかった。

アメリカは夢と希望に輝き、この世の天国とさえ感じさせたと語る落合信彦さんですがトランプ氏から出てきたのはカネと不動産の話ばかりで・・・

 

イギリスでサッチャー女史にインタビューしたばかりだったので、トランプ氏の話もさぞかし深い知識と見識に包まれているだろうと期待していた落合信彦さん。

ところが社会情勢や政治、歴史、彼の人生哲学などについて聞こうとしてもまったく反応しない。そんな相手にインタビューするのは時間の無駄と思ったので8分ほどで止めてしまいました。

 

落合信彦さんはトランプ氏に対して政治や外交、歴史などはまったく知らず教養や品格もまったくない。世界を背負って立つアメリカのトップとして、まったく素養がない。これは時代の流れではなく「人間の劣化」と断じています。

時に厳しいことを言う落合信彦さんですが、歴史に名を刻む方へインタビューが行えたのは、話術や人脈、運など様々なものを持っているからこそ実現したのでしょう。

 

小説家や翻訳家としても活躍

 

「世紀のスクープ」をたて続けに報じる一方で、イスラエルの諜報機関「モサド」を舞台にしたハードボイルド小説なども発表して若者たちのカリスマとして君臨していました。

各国の諜報機関(CIA、モサドなど)に多数知人がおり、彼らからの情報を元に世界情勢や国内問題を分析した話しや、留学・起業・オイルマンとしての体験からフィクション、ノンフィクション問わず世界を舞台にしたスケールの大きい話が多く、ネットのない時代の海の向こうの広い世界と男の生き様を教えてくれる教科書だったのです。

 

 

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あの頃の若者たちが年を重ねた今も、心のバイブルになっているようです。

 

名誉ある経歴

出典元:システムブレーン

 

東京都立両国高等学校(定時制)を卒業したのち、アメリカのオルブライト大学に留学し卒業。その後テンプル大学大学院で国際政治学を専攻しました。

オルブライト大学は学際的なカリキュラムに重きを置いており、全学生の半分が2つ以上の学部で学び、学士課程および修士課程を持つ生徒も多いようです。

 

教育機関としてのアカデミック レベルや入学難易度、国際競争力、研究機関としての実績や研究環境の充実度などを基に決められ、毎年高い注目を集める『全米大学ランキング』でSocial Mobility専攻で、全米トップ31位にランクしました。

全米教育統計センターが発表している大学の数は3,982校なので、かなり優秀な大学だとわかります。

 

ちなみに落合信彦さんが通っていた当時は、「リトルハーバード」と呼ばれていたそうです。

卒業から月日が経った1997年5月 落合信彦さんが55歳の時に、母校オルブライト大学より人文学名誉博士号を授与されました。

 

テンプル大学大学院は約140の分野で学士号、130以上の分野で修士号、50以上の分野で博士号を取得することができ、学生数は約37,000名で全米の公立4年制大学中30位以内のとても規模が大きい学校です。

 USAの世界大学ランキング2021で61位に位置し、学部課程に関しては、“The 2015 Best 379 Colleges”の1つに選ばれています。

 

元々、教会の地下で始まったこの学校はペンシルベニア州内7つのキャンパスのほか、ローマと東京にも分校を持つまでになりました。

様々な人種や国籍の方が通う学校なので、ジャーナリストとしての人脈はここから生まれたものもありそうですね。

 

メリー

この人脈から取材に繋げていたのかな~?

 

現在の活動

出典元:NEWS ポストセブン

 

今年で82歳を迎える落合信彦さんは、現在、どのように過ごしているのでしょうか。

 

落合信彦さんがもっとも最近出版された書籍は、2016年の『そして、アメリカは消える』です。新刊本が出なくなって久しいですが、病気か何かでしょうか

最近は出版社が新刊本を依頼しないからなのか、自身で仕事をセーブしているのかもしれません。

 

今まで激動の人生だっただろうから、のんびりした老後生活を満喫してるかもね~!

クロ




教育方法が徹底されていたことから落合陽一は現代の魔術師になれた

 

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『現代の魔法使い』と呼ばれる落合陽一さん。news zeroやサンデージャポンのコメンテータをされているので、ご存じの方も多いかと思います。

落合陽一さんが天才になったのは幼少期の教育方法に秘密があるようです。子供のころの生活や驚きのエピソードも紹介します!

 

落合信彦の人脈は豊富でそれも刺激に

 

職業柄、様々な人と関りがあり交友関係も広かった父親の落合信彦さんは、自宅に友人をよく招いたそうです。

 

出典元:日経ビジネス

 

その友人たちというのが、サグラダファミリア主任彫刻家の外尾悦郎(そとお えつろう)さん実業家であり元角川書店店長の角川春樹さん

そしてフランス建築アカデミーのゴールドメダルを受賞した経験を持つ建築家の黒川紀章さんです。

 

他にも、イスラエル空軍の人やスパイみたいに怪しげな人たちも家に訪れていてそれが大きな刺激になったと落合陽一さんは話しています。

刺激というより、トラウマになってもおかしくない気がしますが、普通であれば出会えない人たちに出会い、直接話が聞けるのは貴重な経験ですね。

 

子育て自体は祖父母

出典元:blogspot.com

 

港区で暮らしていた落合一家ですが、作家として活躍していた落合信彦さんはホテルで執筆活動をすることが多かく家にいませんでした。

両親が共に多忙だったため、落合陽一さんは同居する祖父母に育ててもらっていたそうです。

 

落合陽一さんは幼稚園に通っていたのですが、給食が大嫌いだったそう。

そんな落合陽一さんを幼稚園に迎えに行き、家で大好きなシーフードピラフを食べさせていたのは祖母だったとか。

 

ただ、週に1回は家族3人で食事し、少ないながらも濃密な家族の時間を過ごしていたので、幼いころに寂しいという気持ちにはなりませんでした

毎日習い事をしていたこともあり、自身も多忙な充実した日々を過ごしていたようです。

 

当時8歳の落合陽一さんが40万もするパソコンを欲しがった時には祖父が買ってくれたりと、何不自由なく暮らしていたので、非行に走ることもなく今に至っています。

 

欲しいものは両親・祖父母にプレゼンテーション

出典:164s.net

 

落合家には特殊なルールがありました。

自分の欲しいものは両親や祖父母にプレゼンし、それが認められれば買ってもらえるというものです。

 

Windows95が出たときに、それが欲しくなった落合陽一さんはルールに従い、祖父にプレゼンをしました。

これからは家にいながら世界の人達とネットワークで繋がる時代が来る。それからCG(コンピューター・グラフィックス)の機能を使ってアニメーションをどうしても作りたい!と。

 

最初はこんな高価なものは駄目だと反対していた祖父も、明確な「必要である理由」を聞き、首を縦に振りました。

プレゼンされたからと言って、小学生の子に40万円もするものを買い与える経済力も決断力もすご過ぎます!

祖父の、パソコンを買うという判断のおかげで落合陽一さんは天才への道を進んでいくので、結果としては大正解だったわけですね。

 

このように大人のような扱いを受けていた落合陽一さんは、何事も自分で考え、議論する前に徹底的に調べるなど、工夫して解決する力を育みました。

 

そら賢くなるわ

やる気0男




母親もバリバリのキャリアウーマン

 

落合陽一さんの母親であり、落合信彦さんの奥さんは外資系の航空会社のキャビンアテンダントとして働いていました。

退職後はメディア放送関係の会社経営を経営し、音楽プロデューサーとしても。キャリアウーマンとして超多忙なため、ほとんど家にいなかったと思われます。

 

落合信彦さんも大変多忙な方で、一人息子の落合陽一さんが生まれてもほとんど家に帰らず、ずっとホテル住まいだったそうです。

そのため、週に一回だけ、陽一さんと母親がホテルに会いに行っていたそうです。これは生まれてから高校時代まで続いたんだとか!

 

そんな多忙な両親も、何とか時間を作り一度だけ授業参観にきたことがあったそうです。

その時の心境を、いつもサングラスを着けている父と母はマフィアみたいで怖かったと語っています。

 

いい話しかと思いきや…

クロ

 

祖父は元大蔵省の官僚

出典元:文春オンライン

 

落合陽一さんを両親の代わりに育ててきた祖父は元大蔵省の官僚で、その後税理士になっています

大蔵省といえば、財政、金融という国のもっとも重要な部分を担当する国の行政機関です。

 

税理士は税務に関する専門家です。落合陽一さんの祖父はお金に関して知識が豊富でシビアだったのではないでしょうか。

そのため、落合陽一さんは高額なお小遣いをもらったことは一切なく、欲しいものは何でも現物支給だったそうです。

 




兄弟はおらず一人っ子

出典元:HIGHFLAYERS

 

落合陽一さんに兄弟はいるのか調べてみたところ、兄弟はおらず一人っ子のようです。

両親は仕事でほとんど家におらず、兄弟もいないので遊び相手がいません。

 

しかし、落合陽一さんは遊ぶ暇がないほど習い事をしていました。

数学やピアノ、空手や絵などの英才教育を毎日受けていたので、教えてくれる先生たちが遊び相手みたいなものだったのかもしれません。

 

父親と仲良し

出典元:NEWS PICKS

 

特殊な家族関係ですが仲は良好なのでしょうか。

 

情熱大陸でスタッフに父親のようになりたいかと問われ「いや、ないね!」と答えています。

しかし、別のインタビューでは、お父さんは面白くて好き、父親らしくとかマウントを取ろうとしないで、自然に接してくれるのがいい。と答えていることから仲の良さがうかがえます。

 

もう一つ仲良しエピソードを紹介します。

落合信彦さんはワイン好きで、実家に帰るとシャトーマルゴーが出てくるのだとか。

そんな父親のために、落合陽一さんは時間ができたらお父さんに飲ませるワインを作ろうと思っているそうです。

 

メリー

天才のほっこりエピソードに癒されるね~!

 

まとめ

 

「アサヒスーパードライ」のCMに起用されたことをきっかけに、落合信彦さんは広く知られるようになりました。

嘘のような伝説もありますが、息子の落合陽一さん曰くほとんどが本当のことのようです。

落合陽一さんは祖父母に育てられることが多かったですが、両親の素晴らしい教育方法によって天才と言われる成長を遂げていますね。

 

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